こうち旅広場・土佐三志士像
高知の玄関口、JR高知駅。とさでん交通(路面電車)高知駅前停留場やバスターミナルのある南口には、こうち旅広場があり、平成22年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』のセットを移築した「龍馬伝」幕末志士社中、高知観光情報発信館「とさ…
高知の玄関口、JR高知駅。とさでん交通(路面電車)高知駅前停留場やバスターミナルのある南口には、こうち旅広場があり、平成22年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』のセットを移築した「龍馬伝」幕末志士社中、高知観光情報発信館「とさ…
高知県高知市、地元では「土電」(とでん)と呼ばれるとさでん交通。はりまや橋で交差し、市街を十字に結ぶとさでん交通の路面電車は、市民生活だけでなく市内観光の貴重な足となっています。とさでん交通桟橋線(駅前線)の起点となるの…
高知県土佐清水市、土佐清水市街と足摺岬を結ぶ高知県道27号(足摺岬公園線)途中にある景勝地が鵜ノ岬展望台(うのみさきてんぼうだい)。穴場の展望地で、展望台へと続く遊歩道入口に、小さな案内板が立っているだけなので注意が必要…
高知県土佐清水市、足摺岬から西へ続くリアス式の海岸線。その半島西端に位置するのが臼碆(うすばえ)。沖臼と呼ばれる突端の岩礁地帯は、黒潮が高知県で一番最初に激突する場所で、潮の流れも速い、海の難所になっています。展望台から…
高知県土佐清水市、岬の先端の断崖上に白亜の足摺岬灯台(あしずりみさきとうだい)が建つ四国最南端の岬(正確には岬の西1kmにある長碆が最南端)が足摺岬。足摺宇和海国立公園の中心的なビューポイントで、隆起海岸のダイナミックな…
高知県高知市、藩政時代の安芸土居(土佐藩家老・五藤家屋敷=安芸城)の城下に形成された武家屋敷町は土居廓中(どいかちゅう)と呼ばれ、安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区(国の伝統的建造物群保存地区)に選定されています。武家…
高知県安芸市土居にある中世から近世の城跡(平山城)が安芸城(あきじょう)。鎌倉時代の初め、延慶2年(1309年)に土佐七守護のひとり、安芸親氏(あきちかうじ)によって築かれたと伝わります。藩政時代には、土佐藩山内家家老・…
三菱財閥を創始した岩崎弥太郎(岩崎彌太郎)は、天保5年12月11日(1835年1月9日)、土佐国安芸郡井ノ口村(現在の安芸市井ノ口)に生誕。生家は現在も岩崎家の所有で、無料で公開されています。瓦に残る家紋の三階菱と土佐藩…
安芸城の城下町、高知県安芸市にあるNHK朝連続テレビ小説『ノンちゃんの夢』(昭和63年)の舞台にもなった櫓時計が野良時計。土居村の大地主だった畠中源馬が、野良仕事をする人に時を知らせるために、明治20年頃に設置したもの。…
高知県高知市にある土佐藩祖・山内一豊とその妻・千代を祀る神社が山内神社(やまうちじんじゃ)。廃藩置県が行なわれた明治4年、土佐藩の最後の藩主であり、維新後最初の知事となった山内豊範(やまうちとよのり)が祖先の霊を祀るため…
高知県高知市、現在、高知城下に残る唯一の武家建築を資料館として公開するのが大川筋武家屋敷資料館。土佐藩士で中級武士の旧手嶋家の武家屋敷です。幕末の安政2年(1855年)に大改築されたことを示す墨書が発見され、幕末の姿に復…
高知県高知市にある足軽屋敷の長屋部分が旧山内家下屋敷長屋。土佐藩15代藩主・山内豊信(やまうちとよしげ=山内容堂)が、元治元年(1864年)に、家臣7人の屋敷地を召し上げ建てた下屋敷。公開される屋敷長屋は、16代藩主(最…
坂本龍馬の曾祖父である八平直海、祖父の八蔵直澄、父・直足(なおたり=八平)、母・幸、兄・権平直方、直、乙女、栄などが眠るのが高知市歴史墓地公園丹中山の坂本家墓所。もともと2ヶ所に分かれていましたが開発によって旧地から移転…
高知県大豊町(おおとよちょう)にある真言宗智山派の寺で、柴折薬師とも呼ばれるのが豊楽寺(ぶらくじ)。神亀元年(724年)、行基創建と伝えられる古刹で、正式名は大田山大願院豊楽寺。鳳来寺山峰薬師(鳳来寺/愛知県)、日向薬師…
愛媛県、徳島県の県境に接する高知県大豊町(おおとよちょう)。旧立川番所書院は、土佐藩の参勤交代における土佐街道(土佐北街道)途中、土佐最後の宿所で、国境警備の拠点となった立川番所(関所)の跡。藩主の宿泊所でもあり、御殿…
高知県大豊町(おおとよちょう)、土佐街道(土佐北街道)・立川番所の上流500mほどの荷宿(にやど)地区は、藩政時代、周辺の産物などの集散地だった場所。安政5年11月17日(1858年12月21日)、坂本龍馬は水戸藩の浪士…
高知県高知市を流れる鏡川の支流・穴川川の最上流部に位置する滝。2段となって落下し落差は65m(上段40m・下段25m)。増水すると大樽を揺るがすような音がするのが名の由来となっています。滝は修験者の行場だった歴史も有し、…
高知県越知町の横倉山にある安徳天皇が眠ると伝えられる安徳天皇陵墓参考地の鞠ケ奈呂陵墓。文治元年(1187年)、壇ノ浦の合戦で敗れた平家残党が安徳天皇を擁して文治3年(1190年)、土佐国・横倉山に落ちのびて行在所を築いた…