吉野水分神社
吉野山上千本に鎮座する延長5年(927年)編纂の「延喜式神名帳」記載の古社が吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)。明治の神仏分離までは、金峰山の蔵王権現(金峯山寺)に属する修験道の行場で、水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ地…
吉野山上千本に鎮座する延長5年(927年)編纂の「延喜式神名帳」記載の古社が吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)。明治の神仏分離までは、金峰山の蔵王権現(金峯山寺)に属する修験道の行場で、水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ地…
吉野山、中千本に鎮座する吉水神社(よしみずじんじゃ)。明治初期の神仏分離令で後醍醐天皇、楠木正成、宋信法印を祀る神社となっています。後醍醐天皇の行宮跡で、秀吉の吉野の花見の本陣にもなったと伝えられています。世界遺産「紀伊…
吉野山・中千本にある吉水神社の山門を入ったところにあるのが吉野山を代表する桜の名所、一目千本(ひとめせんぼん)。豊臣秀吉の吉野の花見の際にも、ここからの眺めに感動したと伝えられています。吉野の花見はやはり、山を敬い崇める…
明治の神仏分離までは吉水院(きっすいいん)だったという奈良県吉野山の吉水神社。書院裏手にあるのが北闕門(ほくけつもん)で、吉野山から大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)を経て大峰山(大峯山)に入山する修験者は、ここで邪気を…
文禄3年2月27日(1594年4月17日)の太閤秀吉の吉野での花見は、吉水院(現在の吉水神社)が本陣となりました。花見に際して豊臣秀吉自らが基本設計を行なったと伝えられる桃山式の庭園が、吉水神社の庭園。神仙思想による「不…
吉野山・奧千本の地主神、金峯神社から山道を15分ほど歩けば、西行庵。桜(当時は山桜)を愛した漂泊の歌人・西行は、「吉野山去年(こぞ)の枝折(しをり)の道かへて まだ見ぬかたの花を尋ねん」(『新古今集』春上86)など、吉野…
平城宮の東北に建ち、寺域は藤原不比等(ふじわらのふひと)の邸宅だった地という古刹が法華寺。聖武天皇の后である光明皇后は、不比等の娘で、不比等の没後、この地を相続して皇后宮とし、さらに天平17年(745年)に宮寺としたのが…
天平神護元年(765年)、称徳天皇の勅願により藤原仲麻呂の反乱の鎮圧を目的に、鎮護国家と平和祈願のため7尺の金銅四天王を造立したのがはじまりという奈良の古刹、西大寺。創建当時は、東の東大寺に対する西の大寺として繁栄。寺域…
明日香村にある文武天皇陵(もんむてんのうりょう)は、天武天皇と、持統天皇の孫である文武天皇の陵墓と推定される場所で、国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区の南端に位置しています。『続日本紀』に火葬されてこの陵に葬られたと記された…
欽明天皇の孫で、天智天皇・天武天皇の祖母にあたるのが吉備姫王(きびひめのみこ/きびひめのおおきみ)。7世紀前半の王女で、桜井皇子(欽明天皇の第六皇子)の娘。茅渟王(ちぬのおおきみ)の后で宝皇女(皇極天皇・斉明天皇)・軽王…
明日香村の吉備姫王(きびひめのおおきみ)の檜隅墓内に4体ある不思議な人面石像。1702(元禄2)年、欽明天皇陵南側、平田村池田の田から見つかり、天皇陵に置かれましたが、明治5年に吉備姫王墓内に移されています。外見から「女…
山深い柳生の里(やぎゅうのさと)でも岩戸山山麓は、古来から神域と伝わる場所。深山幽谷の趣の地に、前立磐(まえたていわ)、後立磐(うしろたていわ)など天の岩戸伝説の残る巨石群があり、その一角に柳生一刀石が佇んでいます。中央…
雪隠(せっちん)とはトイレのこと。明日香村平田地区にある不思議な巨石が鬼の雪隠と呼ばれていますが、遊歩道を挟んだ反対側の鬼の俎(まないた)とセットになっており、鬼が付近を通る旅人を俎の上で料理し、雪隠(トイレ)で用を足し…
明日香村の丘の上にある花崗岩の謎の石造物が酒船石。長さ5.5m、幅2.3m、厚さ1mほどの巨岩ですが、岩の上の平な面に皿状の凹みと凹みを結ぶ溝があるため、酒造に用いられた、あるいは薬作りの石とも推測されていますが、誰が、…
645(皇極天皇4)年に起こった古代の日本を揺るがしたクーデター、乙巳の変(いっしのへん=大化改新につながる蘇我氏の暗殺計画)の時、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で殺害された蘇我入鹿(そがのいるか)の首が飛んできたと…
明日香村川原地区の田んぼの中に鎮座する重さ推定40tという巨大な花崗岩を、自然の岩肌を残したまま利用した石造物が亀石。うずくまった亀のようなスタイルと残された伝説から亀石と呼ばれていますが、いつごろ、何の目的で造られたの…
721(養老5)年8月、興福寺創建者、藤原不比等(ふじわらのふひと)の一周忌に、元明上皇、元正天皇の両女帝が太政大臣の長屋王(ながやのおおきみ)に命じて創建した八角円堂。日本に現存する八角円堂のうち最も美しいと賞賛される…
興福寺の三重塔は、1143(康治2)年、崇徳天皇(すとくてんのう)の中宮・藤原聖子(ふじわらのきよこ=皇嘉門院聖子/こうかもんいんせいこ)が創建し、1180(治承4)年、平重衡の兵火で焼失後、間もなく再建されたもので、北…