致道館
大分県速見郡日出町(ひじまち)にある、大分県下で唯一現存する藩校の遺構が、致道館(ちどうかん)。かつて日出城(暘谷城・ようこくじょう)東二の丸(現・日出中学校)に位置した日出藩の藩校で、安政5年(1858年)、日出藩15…
大分県速見郡日出町(ひじまち)にある、大分県下で唯一現存する藩校の遺構が、致道館(ちどうかん)。かつて日出城(暘谷城・ようこくじょう)東二の丸(現・日出中学校)に位置した日出藩の藩校で、安政5年(1858年)、日出藩15…
大分県速見郡日出町にある天台宗の古刹、願成就寺(がんじょうじゅじ)。養老年間(717年~724年)、六郷満山の創建者・仁聞(にんもん)が建立、天徳4年(960年)、空也上人が再興したと伝えられます。国東六郷満山の総結願寺…
大分県大分市、大分市街の南、上野丘(うえのがおか)台地の東端にある磨崖仏が、大分元町石仏。敏達天皇(びだつてんのう=6世紀)の時代に、百済(くだら)の渡来僧・日羅により刻まれたと伝わり、国の史跡にも指定。薬師如来が中心で…
大分県大分市、丹生川左岸、丹生台地の東端に位置する墳丘長116mという前方後円墳が亀塚古墳。亀塚古墳一帯を公園として整備し、ガイダンス施設として海部古墳資料館(あまべこふんしりょうかん)が建っています。航海術に長け、ヤマ…
大分県大分市、丹生川左岸、丹生台地の東端に位置する墳丘長116mの前方後円墳が、亀塚古墳。4世紀末〜5世紀初頭の築造と推定される前方後円墳で、大分県で小熊山古墳(墳丘長116.5m)に次ぐ大きさを誇り、国の史跡にも指定。…
大分県臼杵市にある臼杵城の二の丸跡に設置されるのが、大友砲(国崩し)。天正4年(1576年)、大友宗麟(おおともそうりん)が、ポルトガル人宣教師たちから火縄銃とともに購入し、臼杵城に設置された佛狼機砲(フランキ砲)のレプ…
大分県臼杵市にある臼杵城に現存する往時の櫓のひとつが、卯寅口門脇櫓(うとのぐちもんわきやぐら)。本丸奥に鎮座する卯寅稲荷神社近くに建つ二重櫓で、卯寅口を見下ろす監視櫓。卯寅口は城の搦手(からめて=裏門)にあたり、緊急時に…
大分県臼杵市にある臼杵城に現存する往時の櫓のひとつが、畳櫓。江戸時代の臼杵城は本丸、二の丸の周囲は海で、陸側の三の丸とは今橋と古橋で連絡されていました。古橋口から二の丸へと登城道・鐙坂(あぶみざか)を上ると畳櫓が建ってい…
大分県臼杵市にある臼杵城の二の丸の正門が、大門櫓。現在は埋立により臼杵市街地となった丹生島(にゅうじま)に、永禄5年(1562年)、大友宗麟(おおともそうりん)が築いた海城が臼杵城。畳櫓、卯寅口門脇櫓は往時のままに現存し…
大分県中津市本耶馬渓町、羅漢山の中腹に位置する羅漢寺と山麓とを結び、耶馬渓リフトが運行するのが羅漢寺観光リフト。駐車場から羅漢寺への移動は徒歩またはリフト。駅は、山麓の禅海堂駅、羅漢寺に近い羅漢寺駅とさらに上部の羅漢寺山…
大分県中津市本耶馬渓町、羅漢山の中腹に位置する羅漢寺近くにある神秘的なスポットが、古羅漢(ふるらかん)。岩窟・洞門や天然橋(天人橋)を有する比高100mほどの岩峰で、駐車場から見上げるだけでなく、山麓の駐車場から古羅漢探…
大分県日田市中津江村、道の駅鯛生金山に隣接し、日田市中津江村で稼働したかつての金鉱山を再生した鉱山観光施設が地底博物館鯛生金山(ちていはくぶつかんたいおきんざん)。かつての坑道の一部約800mを観光用に舗装し、当時の採掘…
大分県日田市天瀬町馬原(まばる)にある神仏習合時代の信仰形態を残す地蔵尊が高塚愛宕地蔵尊(たかつかあたごじぞうそん)。奈良時代の僧で、聖武天皇の命により奈良・東大寺の大仏建立にもかかわったとされる行基が、九州巡礼の折、高…
日本最大の源泉数・湯出量を誇る「おんせん県・大分」で、温泉がない街として地元では有名な豊後大野市では、稲積水中鍾乳洞を水風呂として利用する世界唯一の鍾乳洞サウナを新設。大自然を活かしたユニークな大自然サウナ6ヶ所を、豊後…
大分県豊後大野市緒方町にある江戸時代(正保年間)に開削された農業用水路が緒方井路(おがたいろ)。緒方平野を潤して、「緒方五千石」と称された岡藩内随一の良田を生み出した水路で、花水車も設置されています。農林水産省の「疎水百…
大分県豊後大野市緒方町を流れる奧岳川の峡谷が滞迫峡(たいざこきょう)。豊後大野市は、9万年前の阿蘇火山の4回目の巨大噴火による火砕流が冷えて固まった溶結凝灰岩の台地ですが、その台地を奧岳川が浸食して形成した高さは70mに…
大分県豊後大野市を流れる奥岳川の最上流部に位置する渓谷が川上渓谷。祖母・傾・大崩ユネスコエコパークの探勝スポットのひとつで、林野庁の「森林浴の森日本100選」、おおいた豊後大野ジオパークのジオサイトにも選定されています。…
大分県豊後大野市朝地町にある彫刻家・朝倉文夫(あさくらふみお)のミュージアムが朝倉文夫記念館。明治40年、東京美術学校(現・東京芸術大学)を首席で卒業した朝倉文夫は、その後彫刻家として活躍、のちに「東洋のロダン」と称され…