臼杵城・大友砲(国崩し)

臼杵城・大友砲(国崩し)

大分県臼杵市にある臼杵城の二の丸跡に設置されるのが、大友砲(国崩し)。天正4年(1576年)、大友宗麟(おおともそうりん)が、ポルトガル人宣教師たちから火縄銃とともに購入し、臼杵城に設置された佛狼機砲(フランキ砲)のレプリカで、日本で最初の大砲といわれています。

実際に島津軍を撃退したフランキ砲のレプリカ

当時ポルトガル領だったインド西部ゴア(Goa)の工廠で製造された艦砲用に設計された大砲。
大きな威力から「国崩し」(くにくずし)という異名があり、実際に、天正6年(1578年)、耳川の戦い(みみかわのたたかい)で 、大友宗麟が島津軍を攻撃した際(高城攻め)などにも使われています。
さらに天正14年(1586年)、島津軍が臼杵城に攻め寄せた丹生島城の戦いでは、この大砲の活躍で、見事、島津軍を撃退しています。

実際に大友宗麟が購入した大砲は2門とも10門ともいわれますが、江戸時代を通じて本丸に設置されていたと伝えられます。
靖国神社(東京都千代田区)の参道脇には、実物の大友砲(国崩し)が設置され、丹生島城にあったものを島津軍が接収したとされていますが、史実に反することから(島津軍は撃退されています)、日向国に出兵の際、大友宗麟が延岡に放置して帰国したものだと推測されています。

臼杵城・大友砲(国崩し)
名称 臼杵城・大友砲(国崩し)/うすきじょう・おおともほう(くにくずし)
所在地 大分県臼杵市臼杵
関連HP 臼杵市観光情報協会ホームページ
電車・バスで JR臼杵駅から徒歩10分
ドライブで 東九州自動車道臼杵ICから約3.4kmで市営下屋敷前駐車場
駐車場 市営下屋敷前駐車場(45台/30分まで無料、以降有料)
問い合わせ 臼杵市産業観光課 TEL:0972-63-1111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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