糸満ロータリーラウンドアバウト
沖縄県糸満市糸満の沖縄県道256号豊見城糸満線にある交差点が糸満ロータリー。かつてはロータリー交差点だったため、糸満ロータリーと通称されていますが平成27年10月からラウンドアバウト(環状交差点)に変更されています。円形…
沖縄県糸満市糸満の沖縄県道256号豊見城糸満線にある交差点が糸満ロータリー。かつてはロータリー交差点だったため、糸満ロータリーと通称されていますが平成27年10月からラウンドアバウト(環状交差点)に変更されています。円形…
沖縄本島北部、名護岳(345.2m/名護市)の西側山麓に残るグスク(城)が名護城(なんぐすく)。グスク時代と呼ばれる14世紀初期から当地を治めた名護按司(あじ=土地を支配した領主的な豪族)の居城だったとされます。名護按司…
沖縄本島の南端部に位置する喜屋武岬(糸満市)は、第二次世界大戦末期の沖縄戦でも有数の激戦地。昭和27年10月に将兵および沖縄戦の犠牲になった住民の遺骨1万柱を奉納し、喜屋武岬に平和之塔が築かれました。現在の美しいモニュメ…
沖縄本島南端、沖縄戦跡国定公園の小さな岬が喜屋武岬(きやんみさき/糸満市)。突端、限界を意味する「きゃん」に喜屋武(きやん)という漢字を当てたもの。高さ50m内外の海食崖が続き、断崖の上には昭和47年建造の喜屋武埼灯台が…
那覇市にある琉球王国の王城、首里城城外の坊門の一つで、綾門大道(あやじょううふみち)の東側に位置するのが守礼門。守礼門の正式名は上の綾門(うぃーぬあいじょう)。中国によく見られる三間牌楼の仲間で、16世紀半ばの建造で中国…
識名園は、1799年に造営された琉球王家最大の別邸。国王一家の保養のほか、中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)の接待にも利用された場所です。国の特別名勝に指定され、世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成…
首里城近くにある玉陵(たまうどぅん)は、琉球王家の陵墓で、琉球王・尚真が父・尚円王(しょうえんおう)の遺骨を改葬するため、1501年に創建されたと伝えられています。2つのアーチ式の石門の中に、沖縄独特の屋根が付いた破風墓…
守礼門後方にある御嶽(うたき=琉球信仰の聖地)で、その前に拝所である石門が築かれており、それが園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。琉球王府の行事「東御廻り」(あがりうまーい=拝所を巡礼する行事)の第1番目の拝所…
沖縄本島南端の喜屋武岬(きゃんみさき/糸満市)の西500m、海岸の断崖の小さな突端に築かれたグスク(城)が具志川城。三方を海に囲まれた岬の突端に建つ城で、国の史跡。15世紀初頭に久米島を支配した具志川城主・真金声按司(ま…
沖縄県那覇市、首里城下にある金城町(きんじょうちょう)は、琉球王朝時代には、士族たちが住む城下町だった場所。尚真王(しょうしんおう/在位1477年〜1527年)の時代に、首里王府が首里城から南部の国場川の真玉橋に至る主要…
1597年、尚寧王(しょうねいおう)の命で浦添城から首里平良までの中頭方西海道(なかがみほうせいかいどう)を整備したときに造られた石造橋の安波茶橋(あはちゃばし)と石畳の道で国の史跡(この大改修で首里城から浦添城への道は…
琉球王国の王城である首里城から浦添間切番所(間切=琉球王国の行政区分)を通って宜野湾間切番所に通じる古道が普天間街道。当山公民館から浦添城跡へと続く部分に現存するのが当山の石畳道(とうやまのいしだたみみち)です。当初、街…
浦添城(沖縄県浦添市)の北側の崖の中腹にある初期琉球王国中山王陵(ちゅうざんおうりょう=中山王の陵墓)で国の史跡になっているのが浦添ようどれ。「ようどれ」とは夕凪(ゆうなぎ)を指す琉球語で、極楽という意味も有しているので…
沖縄本島の南部と中部のちょうど境目、浦添市の琉球石灰岩の丘陵地に位置し、東シナ海を一望にするグスク(城)が浦添城(うらそえじょう)。初期琉球王国の重要な城郭で国の史跡になり、現在も発掘調査が進められており、城壁の一部が復…
沖縄本島うるま市、勝連半島のつけ根に近い南風原(はえばる)に建ち、平成12年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に指定されたグスク(城)のひとつが勝連城(かつれんぐすく)。12〜13世紀頃、勝連按司(…
座喜味城(ざきみぐすく)は、沖縄本島中部の読谷村(よみたんそん)の小高い丘の上に位置し、15世紀の初めに、護佐丸按司(ごさまるあじ)が築城した城(グスク)。一帯は座喜味城跡公園として整備され、「続日本100名城」に選定さ…
1879年に沖縄県が誕生するまで長期にわたり琉球王国の中心だった王宮が首里城(しゅりじょう)。那覇市内では最も高い琉球石灰岩でできた丘陵地に建ち、東西約400m、南北約270mもの石垣に囲まれた城内には、10ほどの御嶽(…
首里城で歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、「喜び誇る」の意から「ほこり御門(うじょう)」という別名のある久慶門(きゅうけいもん)は通用門として使われていた門で、おもに女性が出入りしていました。琉球王国の国王が寺…