芦野公園(芦野池沼群県立自然公園)
太宰治の生誕地として知られる青森県五所川原市金木町と中泊町にある自然公園。中泊町の大沢内溜池と五所川原市の藤枝溜池一帯の612haが公園に指定されています。藤枝溜池(芦野湖)を中心に2200本の桜と1800本の老松が湖畔…
太宰治の生誕地として知られる青森県五所川原市金木町と中泊町にある自然公園。中泊町の大沢内溜池と五所川原市の藤枝溜池一帯の612haが公園に指定されています。藤枝溜池(芦野湖)を中心に2200本の桜と1800本の老松が湖畔…
岩手県北上市、珊瑚橋付近の北上川東岸に広がる293haの自然豊かな公園で、大正10年の開園。ソメイヨシノを中心に約1万本の桜や10万本のツツジがあり、桜の開花は例年4月中旬〜下旬にかけて。遊覧船や渡し舟などを利用して川か…
北上川、中津川、雫石川の合流点にあたる盛岡は古くから治水事業に力を注いできた土地。南部氏26代の南部信直は、盛岡に居城を定めた際に上田地区に4段の堤を築いています。上堤、中堤、下堤、小堤のうち、最も大きかった中堤が、現在…
盛岡城は、鶴ヶ城(若松城)、白河小峰城と並び「東北三名城」に数えられる盛岡城の城跡を整備した公園。盛岡城は不来方城(こずかたじょう)とも呼ばれ、南部藩20万石の藩庁だった城。現在は岩手公園として整備され、「日本100名城…
角館の市街地の西側を流れる一級河川、桧木内川の堤防。昭和9年、当時の皇太子明仁親王(平成天皇)御誕生記念として町民によって植えられた400本のソメイヨシノの桜並木で国の名勝に指定されています。開花期には2kmに及ぶ花のト…
芦名氏の角館入城で町割りが行なわれ、火除(ひよけ)と呼ばれる広場を中心に、北側に武家屋敷が建ち並ぶ通称「内町」(うちまち)を、南側に町人や商人が住む「外町」(とまち)を配した角館。武家屋敷群の表通りは、国の重要伝統的建造…
横手市増田町にある真人公園(まとこうえん)は、大正天皇即位記念事業として造園された公園。「さくら名所100選」に選ばれた名園で、ソメイヨシノやヤマザクラなど2000本が植栽されており、秋田県内屈指のお花見スポットとして多…
千秋公園は、秋田藩20万石の藩主佐竹氏12代にわたる居城、久保田城跡に整備された公園。久保田城は本丸と二の丸の周囲に内濠を巡らせ、4棟の平屋と8棟の櫓を築いただけの城で、石垣も天守も築かれていませんでした。「日本100名…
仙台城(青葉城)は、1610(慶長15)年に伊達政宗が築城、以後270年間伊達家の居城となっていた東北の名城。将軍・徳川家康の警戒を避けるためあえて天守は設けられていませんでしたが、地形を生かした壮大な山城でした。仙台市…
宮城県多賀城市、仙台平野が一望できる丘陵の末端を利用して造られた古代の城跡で、奈良・平安時代の東北地方の政治・軍事・文化の中心地だったの多賀城跡。東北から北海道を領有していた蝦夷(えみし)を制圧するため、724(神亀元)…
白石川は蔵王連峰を源にし、宮城県内を流れる阿武隈川支流の一級河川。柴田郡大河原町から柴田町にかけての白石川堤の8kmには、「一目千本桜」と呼ばれる1200本の見事な桜並木があり、船岡城址公園(柴田町)とともに「日本さくら…
宮城県柴田郡柴田町にある山城で、伊達騒動とも呼ばれる寛文事件。その寛文事件をテーマにした山本周五郎原作のNHK大河ドラマ『樅の木は残った』(昭和45年放映、主演・平幹二朗)で有名になった仙台藩家老・原田甲斐宗輔の館跡(船…
山形県山形市にある山形藩の藩庁だったのが山形城。山形城の二の丸跡と三の丸跡の一部は国の史跡に指定され、本丸と二の丸跡は霞城公園として整備されています。入口の二の丸東大手門は、市制100周年記念事業の一つとして、史実に従い…
明治11年〜明治43年にわたり地元の人々によって造成された赤湯温泉街の烏帽子山(えぼしやま)と呼ばれる高台にある公園。温泉街から表参道を上った山頂部からは、置賜盆地を一望にでき、眺望を楽しむ温泉客も多数。園内にはシダレザ…
山形県鶴岡市にある鶴岡公園は鶴ヶ岡城跡に整備された公園。鶴ヶ岡城は三重に堀を巡らせた平城で、藩政時代に庄内地方を治めていた庄内藩(荘内藩)酒井家14万石の居城。明治8年に廃城となり、本丸と二の丸が鶴岡公園として整備され、…
白河の関がある白河に建つ奥州関門の名城で国の史跡。盛岡城、若松城とともに東北三名城のひとつで、豊臣時代には会津領となり、関ヶ原の合戦では上杉家の家康軍防御の拠点として機能しました。藩政時代には7家21代の居城に。一帯は城…
会津のシンボルともいえる鶴ヶ城(若松城)。本丸、二の丸、三の丸、北出丸、西出丸があり、本丸跡に鉄筋コンクリート造りの天守が再建され、内部は郷土博物館に。本丸、二の丸一帯は国の史跡となり、鶴ヶ城公園として整備されています。…
福島県二本松市にある平山城で、畠山氏7代当主・二本松満泰が、1414(応永21)年頃に築城したのが始まり。藩政時代には二本松藩主丹羽氏の居城となり、近世的な天守が築かれたのも丹羽長秀の孫・光重が10万700石で入城した際…