有栖川宮記念公園
港区南麻布の高台(淀橋台)から台地下へという傾斜地を利用した公園。江戸時代には南部藩(盛岡藩)下屋敷だった地。明治中期から有栖川宮邸地となり、その後、高松宮家所有を経て、東京市に下賜されて有栖川宮記念公園、北側は東京府養…
港区南麻布の高台(淀橋台)から台地下へという傾斜地を利用した公園。江戸時代には南部藩(盛岡藩)下屋敷だった地。明治中期から有栖川宮邸地となり、その後、高松宮家所有を経て、東京市に下賜されて有栖川宮記念公園、北側は東京府養…
中世の豪族の館に始まり、江戸時代は高松藩松平家の下屋敷、明治時代は旧陸海軍の火薬庫、大正時代からは皇室の御料地(白金御料地)と、長い間人が立ち入らない状態が続いたために残った貴重な自然。昭和24年、自然保護のため天然記念…
熊本藩主・細川家の下屋敷があったところで、屋敷や回遊式の庭園が整備されました。その大名庭園の東庭園部分が現在の戸越公園。江戸時代以降、所有者も転々と変わっていますが、大名庭園の池泉の雰囲気は残されています。
江戸時代には徳川御三家で吉宗を排出した紀州藩徳川家の下屋敷だったち地。元佐賀藩主の鍋島家が明治9年、この地に茶園を開いて「松濤」(しょうとう)の銘で売り出しました。後に一帯は宅地化され、高級住宅地として分譲されましたが、…
昨年から千葉巡りをさせていただいていて、千葉って大都会と田舎が両方ある県なんだなって再認識しています。 しかも首都圏から近いでしょ~。ずるいー(笑)
東五反田にある品川区立の公園。江戸時代は、岡山藩池田家下屋敷のあった地で、大名庭園の名残をとどめる池泉回遊式の庭園が現存しています。江戸時代から池田家の下屋敷があったことから池田山と通称されていたことが、公園の名の由来に…
「岳都」と呼ばれる長野県大町市で、2017年6月4日(日)~7月30日(日)の57日間、『北アルプス国際芸術祭2017~信濃大町 食とアートの廻廊~』が開催されます。総合ディレクターは、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリ…
高遠藩主内藤氏の屋敷跡を4年の歳月をかけ整備し、明治39年に開園。昭和22年に国民公園として一般に開放されるようになった新宿の貴重なオアシスです。総面積約59haの広大な敷地の中央に、広い芝生を持つイギリス式風景庭園があ…
東京大学本郷キャンパスにある門。東大本郷キャンパスは、江戸時代には加賀藩前田家上屋敷だった地。大名庭園の名残として三四郎池が残り、さらに門の遺構として御守殿門(赤門)が現存しています。
東京都文京区本郷、東京大学本郷キャンパスにあるのが夏目漱石の長編小説『三四郎』のモチーフとなった三四郎池。東大本郷キャンパスは、江戸時代には加賀藩上屋敷だった地で、三四郎池もかつての大名庭園「育徳園」の一部。正式名は育徳…
本庄松平氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷だった地で、庭園は元禄年間(1688年〜1704年)に笠間藩初代藩主となった本庄宗資(ほんじょうむねすけ)が築いた大名庭園。明治時代に安田財閥を起こした安田善次郎の所有にな…
地元で「バッケ」と呼ばれる目白崖線(めじろがいせん)に沿って、台地から神田川の渓谷へと下る地形を巧みに活かした庭園が、結婚式や宴会場、そしてホテルとしても名高い椿山荘(ちんざんそう)の庭園。江戸時代には上総国(かずさのく…
幕末には熊本藩細川家下屋敷の庭園だった場所。明治15年には華族となった細川家の本邸になり、昭和35年に東京都が購入し、昭和36年に公園として開園。さらに昭和50年から文京区立新江戸川公園として開放されていました。平成29…
尾張藩徳川家の下屋敷時代の築山の名残というのが箱根山。山頂にある水準点の標高は44.6mで、人工の山ながら「東京23区の最高峰」で、山手線内の最高点。1671(寛文11)年、尾張藩2代藩主・徳川光友が造営を開始した下屋敷…
六本木ヒルズ内の日本庭園が毛利庭園。テレビ朝日が隣接するため、ニュース番組などで毛利庭園からの中継も多いので全国的にも馴染みの深い場所になっています。毛利甲斐守邸跡(長門長府藩麻布上屋敷の跡)でもあり、赤穂浪士の岡嶋八十…
東京ミッドタウンに隣接する港区立の公園。江戸時代には長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷があった場所で、「清水園」と呼ばれる大名庭園のあった場所。檜町という名は、毛利邸の南側に見事な檜(ヒノキ)林があったことから「檜屋…
早稲田大学の構内にある芝生の広がる開放的な庭と、池泉を中心にした日本庭園がある和洋折衷の庭園。明治20年、大隈邸が築かれた際に佐々木可村(鈴木柯村)が作庭、諏訪の銀次郎(庭師)や渡辺華石(画家)が加わって造園した庭です。…
千葉でのお宿は君津です。 千葉の市町村の場所を把握する時はいつもちーばくんを思い浮かべながら・・。 君津はちょうどお腹くらいですね。