多摩自然遊歩道
神奈川県川崎市、多摩川沿いに細長く市域が続く川崎市の丘陵地帯などを結ぶ散策コースが多摩自然遊歩道。 南武線稲田堤駅・京王相模原線京王稲田堤駅と小田急小田原線の読売ランド前駅を結ぶ5.0km、所要3時間30分のコ…
神奈川県川崎市、多摩川沿いに細長く市域が続く川崎市の丘陵地帯などを結ぶ散策コースが多摩自然遊歩道。 南武線稲田堤駅・京王相模原線京王稲田堤駅と小田急小田原線の読売ランド前駅を結ぶ5.0km、所要3時間30分のコ…
東京都大田区、東京国際空港に隣接する多摩川河口、多摩川に海老取川が合流する場所に建つのが五十間鼻無縁仏堂(ごじゅっけんばなむえんぼとけどう)。無縁仏堂は、多摩川で水難で、そして関東大震災、東京空襲で亡くなった人を祀る堂で…
東京都大田区、多摩川の河口、海老取川に架る弁天橋近くに移設されているのが旧穴守稲荷神社大鳥居。もともとは、現在の羽田空港に鎮座した穴守稲荷神社の一の大鳥居だったもの。昭和4年10月に建立された赤鳥居は、平成11年に現在地…
神奈川県川崎市多摩区菅仙谷、稲城市との市境にある丘陵上に築かれた中世の城跡が小沢城。天然の要害となった丘陵で、鎌倉時代の初めに源頼朝の重臣、稲毛重成(いなげしげなり)の子、小沢重政(小沢小太郎)の居城だったと伝えられてい…
神奈川県川崎市川崎区港町、多摩川河口にある高さ20.3m、水門幅10.0m、コンクリート造りの水門が川崎河港水門(かわさきかこうすいもん)。大正7年に始まった多摩川改修工事の一環、多摩川と陸側に伸びる予定の運河を隔てる水…
神奈川県川崎市多摩区、JR南武線が江戸時代に開削された二ヶ領用水をまたぐ橋が船島川橋梁(船島鉄橋)。桁下は1.2mしかなく、二ヶ領用水沿いの歩道を歩く人も腰をかがめて橋梁をくぐるという、首都圏でももっとも桁下が低い橋のひ…
神奈川県川崎市多摩区(上河原堰・宿河原堰)から川崎市幸区までを流れる、支流を含めると全長32kmにも及ぶ農業用水が二ヶ領用水。慶長2年(1597年)に測量が始まり、14年の歳月を費やして慶長16年(1611年)に完成した…
神奈川県川崎市多摩区、多摩川に築かれた取水用のダムが上河原堰堤(かみがわらえんてい)。徳川家康の関東転封に伴って開削された二ヶ領用水の取水口にある堰堤で、昭和16年にコンクリート化、さらに昭和46年に魚道などが設置される…
神奈川県川崎市多摩区、多摩川に築かれた二ヶ領用水の取水用のダムが宿河原堰堤(しゅくがわらえんてい)。慶長6年(1611年)、3.5km上流の上河原堰堤から用水を取り入れましたが、それでも水不足だったため、寛政6年(162…
神奈川県川崎市多摩区、95.5haという広大な園内に川崎市岡本太郎美術館、川崎市立日本民家園、かわさき宙と緑の科学館などが配された生田緑地。中央エリア、東口から180段の階段を上った枡形山広場にある展望台が枡形山展望台。…
山形県内には230もの滝(落差5m以上)があり、滝の数では日本一。全国に2488ヶ所ある(平成元年、環境省の自然環境保全基礎調査)といわれる滝のうち1割が集中することに。山形県では「日本一の滝王国 山形」をPRしています…
山形県西村山郡西川町、朝日連峰の竜門山(1688m)、大朝日岳(1870.7m)への登山口となる日暮沢小屋(避難小屋)の横を流れる根子川の上流部に懸かる落差20mほどの滝が竜門滝。日暮沢小屋からさらに奥に林道が伸び、林道…
山形県鶴岡市越中山を流れる梵字川に落ちる支沢に懸かる落差25mの段瀑(3段)が、亀の滝。国道112号を走り、道の駅「月山」月山あさひ博物村、または「米の粉の滝ドライブイン」に車を入れれば、梵字川の吊橋を利用して対岸の亀の…
青森県青森市野沢、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産のひとつ、小牧野遺跡のガイダンス施設が青森市小牧野遺跡保護センター (縄文の学び舎・小牧野館)。小牧野遺跡から1.5kmほど離れた旧野沢小学校(平成24年…
豊かな落葉広葉樹林と、海や河川からの漁業資源を背景に、1万年以上にわたり採集・漁労・狩猟による定住生活が行なわれた縄文時代。世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産となる17遺跡のうち、北海道は、千歳市以南の6遺…
山形県鮭川村大芦沢にある平成5年に発見されたという瀑布群がまぼろしの滝群。夫婦滝、湯沢の滝、白猿の滝、大滝の4つの滝があり、最奥、最大の大滝は2段ながら落差100mに及ぶスケールで、今まで知られていなかったのが不思議な…
北海道紋別市上藻別、紋別市街と丸瀬布(遠軽町丸瀬布)を結ぶ北海道道305号(紋別丸瀬布線)沿いにある大正15年に官設の駅逓として建てられた建物が旧上藻別駅逓所。往時の建物が現存し、国の登録有形文化財になっているほか、上藻…
北海道紋別市鴻之舞にある金を採掘した鉱山の跡が鴻之舞鉱山跡(こうのまいこうざんあと)。大正5年に鉱床が発見され、大正6年から住友(後の住友金属鉱山)が経営に乗り出し、昭和48年に閉山になるまで金・銀・銅などを産出しました…