光と風と波の塔
東京都新島村、新島の黒根海岸・三郎浜、新島港(新島港船客待合所)近くに建つのが光と風と波の塔。間々下浦にある湯の浜露天風呂がギリシアの神殿風なのに対し、こちらは、ヨーロッパの城郭の遺跡のような雰囲気ですが、新島特産のコー…
東京都新島村、新島の黒根海岸・三郎浜、新島港(新島港船客待合所)近くに建つのが光と風と波の塔。間々下浦にある湯の浜露天風呂がギリシアの神殿風なのに対し、こちらは、ヨーロッパの城郭の遺跡のような雰囲気ですが、新島特産のコー…
山形県天童市にある和銅元年(708年)、行基開山と伝える古刹が若松寺(じゃくしょうじ/若松観音)。貞観2年(860年)、山寺を建立した円仁(慈覚大師)が山頂の堂を現在の地に移し、 伽藍を整備したと伝えられていま…
山形県天童市、温泉街としての賑わいをみせる天童温泉街からやや離れた最上川(もがみがわ)沿いに建つ日帰り入浴施設が天童最上川温泉ゆぴあ。泉質はナトリウム-塩化物温泉(食塩泉)でよく温まると人気。男女別に設けられた露天風呂は…
山形県山形市、馬見ヶ崎川の右岸にある曹洞宗の古刹、護国寺(唐松観音)。平安時代創建と伝わり、京・清水寺に似せた山形県内唯一の懸崖造りの堂(舞台)からは、山形市街を眼下にします。本尊は、空海(弘法大師)自刻と伝わる聖観世音…
山形県上山市にある東北最大級の遊園地、リナワールド(LINA WORLD) 。メルヘンランドを中心に、ハローキティをテーマーにしたアトラクションが多数揃い、ジョイフルゾーン、エキサイトゾーン、夏期に営業のリナビーチゲート…
大分県佐伯市、祖母傾(そぼかたむき)国定公園内にあり、宮崎県との県境にそびえる標高1385.8mの夏木山に源を発する、桑原川上流部、全長8kmの渓谷が藤河内渓谷(ふじがわちけいこく)。上流には起点となる落差77m、幅2m…
東京都新島村、新島と式根島を結ぶ新島村営の高速船が連絡船にしき。新島の新島港(黒根港)と式根島・野伏港を20分で結んでいます。新島側は、B堤漁協前の連絡船にしき待合所で、式根島では野伏港奥に建つ式根島観光協会で乗船券を発…
東京都新島村、式根島の玄関港となるのが、式根島の北東に位置する野伏港(のぶしこう)。東京都が管理する港で、野伏港船客待合所が整備されています。東海汽船の「さるびあ丸」、ジェット船、下田港発の神新汽船「フェリーあぜりあ」の…
東京都新島村、新島の西海岸にある新島の玄関口となる新島港(前浜・黒根港)にあるのが新島港船客待合所。東海汽船の「さるびあ丸」、ジェット船、下田港発の神新汽船「フェリーあぜりあ」も入港します。新島港船客待合所には、新島観光…
東京都新島村、新島の本村にある村営のミュージアムが新島村博物館。新島村と式根島の自然、歴史、文化を解説しています。常設展示は、新島・式根島の自然、新島・式根島の歴史、島の文化、島民の暮らしの4コーナーです。茅葺き古民家、…
山形県上山市、上山城の西側を南北に走る仲丁通り(武家屋敷通り)沿いに4軒並んで現存する中級武家屋敷のうちの1軒で、内部も公開されているのが旧曽我部家(有料公開施設)。宝永5年(1708年)頃、上山藩主・松平信通(まつだい…
山形県上山市、上山城の西側を南北に走る仲丁通り(武家屋敷通り)沿いに4軒並んで現存する中級武家屋敷のうちの1軒が山田家。今も個人所有のため、外観のみ見学が可能。庭には八幡堂堰から引いた水を湛えた池があり、往時を偲ばせてく…
山形県上山市、上山城の西側を南北に走る仲丁通り(武家屋敷通り)沿いに4軒並んで現存する中級武家屋敷のうちの1軒で、上山市が所有し内部も公開されているのが三輪家(有料公開施設)。戦後もここで暮らしていたため、生活に便利な様…
山形県上山市、上山城の西側を南北に走る仲丁通り(武家屋敷通り)沿いに4軒並んで現存する中級武家屋敷のうちの1軒、もっとも南に建つのが上山藩武家屋敷・森本家。実際に使われている民家のため内部の見学はできませんが、外観と庭(…
東京都新島村、式根島の足付温泉と地鉈温泉の間を隔てた岩山が足地山(66.8m)。そのてっぺんに築かれた展望台が足地山展望台です。足付の足、地鉈の地を1字づつとった地名で、足付温泉と地鉈温泉を結ぶ歩道途中からも南へ展望台へ…
東京都新島村、式根島の東部、北に新島、南に三宅島や御蔵島(みくらじま)を眺める展望地が、ぐんじ山展望台。式根島の島民がこの眺望を見出し、ボランティアによって整備された場所。野伏港から徒歩で30分ほどかかりますが、レン…
東京都新島村、新島西海岸、間々下浦の高台に建つのが新島ガラスアートセンター。新島ガラスの製品は、特産のコーガ石(抗火石)を原料の一部に利用して制作。コーガ石(抗火石)を原料としたガラスは、独特のオリーブ色を帯びるのが特徴…
東京都新島村、日蓮宗の寺、長栄寺の北、新島共同墓地の一角、共同墓地よりも一段低くなった場所にあるのが流人墓地。寛文8年(1668年)〜明治4年の間、新島には1333名の流刑囚が流され、新島で655名が病没しています(赦免…