箱根駅伝強豪チームの人気練習先、富津岬
東京湾に突き出した富津岬(千葉県富津市)。全長5kmほどの砂州(さす)で、第二次世界大戦まで要塞だったこともあり、豊かな自然が残され、岬全体が千葉県立富津公園になっています。半島を一巡する道路が、箱根駅伝強豪チームに人気…
東京湾に突き出した富津岬(千葉県富津市)。全長5kmほどの砂州(さす)で、第二次世界大戦まで要塞だったこともあり、豊かな自然が残され、岬全体が千葉県立富津公園になっています。半島を一巡する道路が、箱根駅伝強豪チームに人気…
佐賀県佐賀市にある佐賀藩10代藩主・鍋島直正、11代藩主・鍋島直大を祀り、昭和8年創建という比較的に新しい神社が佐嘉神社(さがじんじゃ)。10代藩主鍋島直正は、幕末期の佐賀藩の地位を高めた名君として譽れ高く、その子・直大…
山口県萩市、JR西日本・山陰本線の駅が飯井駅(いいえき)。昭和39年1月21日、山陰本線の三見駅(さんみえき)〜長門三隅駅(ながとみすみえき)間に新駅として開業した駅で、単式ホーム1面1線ののどかな駅です。山口県は1月1…
佐賀県唐津市、名護屋城の入口にある風流な休憩施設が茶苑海月。苑内には茶室棟、広間などのある茶屋棟、日本庭園があり、数奇屋造り茶屋棟では日本庭園を眺めながら抹茶、菓子の接待を受けることができます(料金は入苑料に含まれていま…
佐賀県唐津市、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して築かれた巨大な城郭、名護屋城の周囲に布陣した諸将ですが、それぞれ石垣を築いて陣屋を構えています。堀秀治陣跡(ほりひではるじんあと)は、現在確認される130あまりの陣跡のうちでももっ…
佐賀県唐津市、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、外征基地として築かれた巨大な城が名護屋城。本丸の南側に帯曲輪(おびくるわ)的に配されているのが馬場です。本丸、三の丸の守備という役割をも有していたため櫓も建てられ、櫓台の石垣が残さ…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。南西側、搦手口(裏門)に位置する曲輪(くるわ)が弾正丸(だんじょうまる)。豊臣政権・五奉行の浅野長政(官位は弾正少弼・だんじょ…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。天草・島原一揆(島原の乱)で、一揆軍が廃城となっていた原城に籠城したことから、名護屋城も徹底的に破却されましたが、本丸旧石垣は…
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に、外征基地として築いた城が名護屋城(佐賀県唐津市)。北西に壱岐、対馬の島影を視認し、加部島が防波堤の役割をする地に築いた、当時、大坂城に次ぐ規模の巨城です。その中心で、丘陵の高台に位置し、五層の天…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城跡が、名護屋城。当時、大坂城に次ぐ巨城でしたが、本丸の北西、二の丸の北に配された曲輪(くるわ)が遊撃丸。眼下に船手口があり、朝鮮の役の講話の際に、明国側講話使節(遊撃将…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城跡が、名護屋城。豊臣秀吉の居館があった山里丸側にあった登城口が山里口(山里丸虎口)です。名護屋城下では当時盛んに茶の湯や能、歌会が催されていましたが、その中心的存在だっ…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城跡が、名護屋城。当時、大坂城に次ぐ巨城でしたが、本丸の西に配されているのが二の丸です。武器、兵糧などを保管する建物があったと推測される曲輪(くるわ)で、長屋建物(掘立柱…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。三の丸からの入る本丸の玄関口にある最後の関門が本丸大手門。大手口→東出丸→三の丸→本丸大手門と登城し、到達することができます。…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。本丸を守る重要な曲輪が三の丸。大手口→東出丸→三の丸と登城し、到達することができます。馬場を通じて本丸を隔てた反対側に位置する…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。正面玄関にあたる大手口からまっすぐ続く登城坂を上ると、右手に広がるのが東出丸。地元で千人枡と呼ばれる曲輪(くるわ)です、大手口…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。佐賀県立名護屋城博物館前にある駐車場から観光案内所を通り、名護屋城へと入る部分が、城の正面玄関にあたる大手口。大手口を起点に南…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた名護屋城。上杉景勝の陣跡にぴたりと寄り添うかのように残されているのが、直江兼続陣跡(なおえかねつぐじんあと)です。その縄張りなどから、景勝の家臣である直江兼続の陣屋も13…
佐賀県唐津市相知町(おうちちょう)、東松浦半島の北波多地区、標高320mの岸岳山頂にあった中世の城跡が岸岳城(きしたけじょう)。別名岸嶽城、鬼子岳城とも呼ばれ、松浦党の中心的存在だった波多氏の拠点。平安時代末期から鎌倉時…