轟の滝
沖縄本島北部、沖縄県名護市を流れる轟川に懸かる落差28mの滝が轟の滝(とどろきのたき)。国道58号の数久田(すくた)交差点から数久田集落を経て川沿いに山に入ると、轟の滝公園に到着。辺野古岳(332m)、久志岳(335.1…
沖縄本島北部、沖縄県名護市を流れる轟川に懸かる落差28mの滝が轟の滝(とどろきのたき)。国道58号の数久田(すくた)交差点から数久田集落を経て川沿いに山に入ると、轟の滝公園に到着。辺野古岳(332m)、久志岳(335.1…
沖縄本島の本部半島にある沖縄県本部町の山里地区は日本で唯一の円錐カルスト地形のあるエリア。山里の円錐カルストと呼ばれる一帯は、桂林に代表される熱帯カルストの北限に位置しています。なかでも標高240mほどのピーク(国土地理…
沖縄県本部町(もとぶちょう)、瀬底大橋で結ばれる瀬底島の瀬底公民館近くにある中国古来の土地神(土地公)を祀る施設が瀬底土帝君(せそことーていーくん)。土帝君は、中国の土地神で、土地の守護神とも農業の神様ともいわれています…
沖縄県浦添市の空寿崎(くうじゅざき)の先端部にある奇岩がカーミージー(亀瀬)。亀の甲羅の形に見えることからカーミージー(亀瀬)と呼ばれてきた。西海岸道路(浦添北道路)の建設では、地元住民の要望で海岸を埋め立てずに橋梁化す…
沖縄県浦添市を走る県道153号沿いにある城(グスク)跡が伊祖城(いそぐすく)。沖縄最古の貿易港である牧港を見下ろす琉球石灰岩の丘陵上に、13世紀頃に築城された城が伊祖城。英祖王(えいそおう=1260年~1299年/古琉球…
沖縄県石垣市、石垣島最北端の岬が平久保崎(平久保遠見台)。晴れた日には沖に宮古列島の多良間島(たらまじま)をも眺望する絶景の岬ですが、石垣市街からは1時間以上の道のりとなります。岬先端には昭和47年点灯の平久保埼灯台が建…
沖縄本島南東部、沖縄県南城市玉城地区の標高150m~190mの台地西側の断崖上に、琉球石灰岩を野面積みと切石積みにした城壁を巡らしたグスク(城)が糸数城(いとかずぐすく)。同じ南城市にある玉城城(たまぐすくぐすく・たまぐ…
沖縄県糸満市、沖縄戦で最後の激戦が行なわれ、米軍のガス弾攻撃で全滅した旧陸軍伊原第三外科壕跡に立つ慰霊碑が有名なひめゆりの塔。沖縄戦中、看護要員として従軍し犠牲となった、沖縄県師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒…
沖縄県伊江村、伊江島の南西の海岸にある琉球石灰岩が浸食された巨大な洞(ガマ)がニャティヤ洞(にゃてぃやがま)。沖縄戦の時に防空壕としても利用され、多くの人を収容したので「千人洞」(せんにんがま)とも呼ばれている。ユタ(沖…
熊本県南阿蘇村(旧久木野村)と西原村との境にある俵山峠には、阿蘇カルデラを西側から一望にする俵山峠園地が整備され、俵山展望所(俵山峠展望所)と通称されています。阿蘇外輪山を熊本県道28号(熊本高森線/南阿蘇やすらぎロード…
熊本県八代市泉町を流れる小原川に架かる落差70m、幅10mの巨瀑がせんだん轟の滝で、「日本の滝百選」に選定。五家荘(ごかのしょう)では滝のことを「轟」(とどろ)と呼び、昔は滝の周辺に栴檀(せんだん)の大木が多数あったのが…
熊本県南小国町、阿蘇北外輪山の一角、大小数百個の巨石が散らばる草原の丘(標高845.1m)が押戸石の丘。巨石群で最大の石が高さ5.5m、周囲15.3mの押戸石。古代に祭祀的なことが行なわれた可能性はあるものの、人為的に配…
熊本県菊池市、阿蘇くじゅう国立公園に指定された菊池渓谷の源流地帯が菊池水源。流れる水は環境省の「名水百選」にも選定される名水です。国立公園の第一種特別地域にも指定される豊かな自然が残され、自然休養林に指定された1180h…
沖縄本島の南部、沖縄県八重瀬町(やえせちょう)の南端、平和祈念公園に続く海岸線が慶座絶壁(ギーザバンタ)の絶景。サザンリンクスゴルフクラブの南端部分に海岸へと下りる階段が設けられています。バンタは崖の意で、慶座(ぎーざ)…
沖縄県南城市を走る沖縄県道86号(南風原知念線)に架かる橋。県道86号は、南城市知念吉富で、国道331号に合流しますが、その手前でカーブを描いて架かる吉富高架橋がニライカナイ橋。実はカーブを境にニライ橋とカナイ橋に分かれ…
沖縄県うるま市の浜比嘉島(はまひがしま)の南部にある伝説の遺跡がシルミチュー霊場。海中道路と浜比嘉橋を車で渡った比嘉漁港の南の森の中にある巨大な洞窟。琉球開闢(かいびゃく)の祖神、女神・アマミキヨ(アマミチュー)、男神・…
沖縄県久米島町、久米島北部、標高309.9mの宇江城岳の山頂に築かれたグスク時代の城跡(国の史跡)が宇江城城(うえぐすくぐすく)。沖縄の城(グスク)跡としては最高所の場所にあります。築城の時期は定かでありませんが、伊敷索…
沖縄県中城村、中城城(なかぐすくぐすく)にほど近い小高い丘の上にあるのが護佐丸の墓。第一尚氏王統建国の功臣で、15世紀に活躍した中城按司(なかぐすくあじ)が護佐丸(唐名・毛国鼎)。墓は、護佐丸の死後、その子孫の毛氏豊見城…