須花トンネル
栃木県佐野市下彦間町と栃木県足利市名草中町とを結ぶ栃木県道208号(飛駒足利線)の峠越えのトンネル。明治14年に地元の戸長、田島茂平が私財を投げ売って着工、8年がかりで掘り上げた「須花の手掘りトンネル」(明治のトンネル)…
栃木県佐野市下彦間町と栃木県足利市名草中町とを結ぶ栃木県道208号(飛駒足利線)の峠越えのトンネル。明治14年に地元の戸長、田島茂平が私財を投げ売って着工、8年がかりで掘り上げた「須花の手掘りトンネル」(明治のトンネル)…
北海道弟子屈町(てしかがちょう)、川湯温泉から藻琴山の肩を越えて網走を結ぶ道道102号(網走川湯線)沿いにある絶景の展望駐車公園が藻琴山展望駐車公園。屈斜路カルデラの外輪山の尾根上、標高460mに位置する駐車公園で、周囲…
栃木県日光市、上今市にある杉並木公園内に朝鮮通信使今市客館跡(ちょうせんつうしんしいまいちかきゃくかんあと)があります。朝鮮通信使をもてなすための迎賓館で、材料をわざわざ江戸から運び、1万両を費やして建築しています。日光…
日光杉並木街道は、徳川家康が東照大権現(神仏習合の神)として眠る日光東照宮の参道(栃木県日光市)。徳川家康の家臣、松平正綱が寛永2年(1625年)頃から20年の歳月をかけて寄進した杉並木。植栽された杉は約20万本と推定さ…
江戸時代、会津藩の参勤交代に使われた会津西街道(下野街道)。国の特別史跡および特別天然記念物の二重指定を受けている日光杉並木街道の一部が、大桑〜今市間・5.72kmの会津西街道杉並木。日光杉並木というと日光街道が有名です…
栃木県日光市、日光杉並木の保護と地域文化を伝承するために作られた3.7haの公園が杉並木公園。国の特別史跡、特別天然記念物の二重指定を受ける杉並木の樹根を保護するため、杉並木周辺を公有地化していますが、その有効利用として…
北海道えりも町、襟裳岬(えりもみさき)から百人浜を目指すと、道道横には美しいクロマツ林が広がります。実は、このクロマツは、昭和28年に始まった襟裳岬の緑化事業(百人浜緑化事業)で誕生したもの。その緑化事業を紹介するのがえ…
北海道えりも町の百人浜、悲恋沼の脇にある石塔が一石一字塔。江戸時代半ばの文化3年(1806年)に建立された花崗岩の石塔。襟裳岬周辺は、海難事故が多く、その遭難者の魂を鎮魂するための碑。仏教の経典の文字を浜石に記した写経の…
北海道えりも町も百人浜にある展望塔が百人浜展望台。国有林緑化事業観察塔として建てられたもので、周囲に高台がないため、百人浜や悲恋沼はもちろん、日高山脈まで一望にします。道道34号(襟裳公園線)の悲恋沼駐車場が展望台入口で…
北海道えりも町、襟裳岬(えりも)から庶野(しょや)まで続く15kmの砂浜。百人浜のバス停前にある一石一字塔は、江戸時代に南部藩の御用船が難破し、この浜で息絶えた100人の乗組員の供養塔。これが百人浜の名の由来となっていま…
栃木県日光市、馬返と中禅寺湖を結ぶ国道120号がいろは坂で、完成時には合計48のカーブがあったためにいろは坂と名付けられたもの。開通時は対面通行の有料道路でしたが交通量が増え、第2いろは坂を増設。いろは坂の有名な展望台は…
栃木県日光市、奥日光の三岳(みつだけ/標高1945.0m)北麓にある小さな湖が切込湖・刈込湖。切込湖と刈込湖は狭い水路で結ばれた実質的にはひとつの湖。ダケカンバ、ヒバ、コメツガなど亜高山帯の原生林に囲まれて静かな湖面をた…
栃木県日光市、神橋の上流にある大谷川の奇勝が憾満ヶ淵(かんまんがふち)。男体山(なんたいざん)から噴出した溶岩流でできた渓谷で、岩上に慈雲寺を創建した晃海僧正(こうかいそうじょう=天海大僧正の弟子)が建立した不動明王像が…
北海道広尾町の海岸線を走る国道336号(黄金道路)途中のルベシベツに立つ江戸時代の道路開削を記念して立てられた石碑が近藤重蔵道路開削記念碑。当時、急峻な日高山地に阻まれて、十勝と襟裳・日高を結ぶ満足な道路がなく、近藤重蔵…
北海道えりも町、襟裳岬から百人浜にかけての道道34号襟裳公園線沿線に広がるクロマツ林は、開拓以後の広葉樹の乱伐で砂漠化した土地の緑化事業(百人浜緑化事業)で誕生したもの。気の遠くなるような営みで面積421haの松林が誕生…
北海道広尾郡広尾町、国道336号(黄金道路)の広尾橋から襟裳岬(えりも町)方面に少し走ったフンベ地区の海岸に落ちる滝がフンベの滝。フンベとはアイヌ語のフンペ(humpe)で、クジラの意(フンと音を出すもの)。つまり海流の…
福島県耶麻郡磐梯町に湧く、磐梯西山麓湧水群の代表格が龍ヶ沢湧水(りゅうがさわゆうすい)。江戸時代には会津藩の命で、旱魃に襲われても涸れることがない湧水のため、磐梯山(噴火以前)、慧日寺(えにちじ)と並び大規模な雨乞いが行…
栃木県真岡市にある江戸時代に二宮尊徳(にのみやたかのり)が桜町領の復興事業(報徳仕法・桜町仕法)を行なった役所跡が桜町陣屋跡。小田原藩主・大久保忠真に手腕を認められた二宮尊徳(二宮金次郎)は、野州桜町の復興の命を受け文政…