日本煉瓦製造会社ホフマン輪窯6号窯
明治21年の操業開始以来、約120年にわたり「レンガのまち深谷」(埼玉県深谷市)の象徴的存在だった日本煉瓦製造株式会社。当時日本が近代化するにあたり、渋沢栄一らによって設立されたレンガ会社で、レンガを焼成したホフマン輪窯…
明治21年の操業開始以来、約120年にわたり「レンガのまち深谷」(埼玉県深谷市)の象徴的存在だった日本煉瓦製造株式会社。当時日本が近代化するにあたり、渋沢栄一らによって設立されたレンガ会社で、レンガを焼成したホフマン輪窯…
長野県茅野市(ちのし)、古くから別荘地として愛されてきた蓼科高原(たてしなこうげん)。そのシンボルといえるのが、昭和26年に完成した人造湖の蓼科湖です。面積8.5ha、最深部7mで、湖面の標高は1244m。緑に囲まれた高…
諏訪湖周辺にある4つの諏訪大社のなかで、もっともにぎわいをみせるのが、諏訪大社下社秋宮(しもしゃあきみや)。中山道(なかせんどう)と甲州街道の合流点、下諏訪宿(現・長野県下諏訪町)に建ち、江戸時代にも街道を歩く旅人や大名…
埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺、常楽寺。秩父三十四所観音霊場・札所11番で、西武鉄道西武秩父駅、秩父鉄道秩父駅・御花畑駅から徒歩圏内にある札所。本尊は、十一面観世音で、明治初年までは天台宗の寺で、第18代天台座主で比叡中興…
長野県下諏訪町は、中山道(なかせんどう)と甲州街道の合流点。街道時代の面影を色濃く残しているのが、諏訪大社下社秋宮(すわたいしゃしもしゃあきみや)あたりの旧中山道です。本陣を務めた岩波家には、街道時代の建物の一部と庭園が…
長野県下諏訪町、諏訪大社下社春宮(すわたいしゃしもしゃはるみや)の脇を流れる、砥川(とがわ)沿いの畑のなかに鎮座する阿弥陀仏が、万治の石仏(まんじのせきぶつ)。高さ2m、どっしりとした椀形をした石の上に、小さな愛らしい頭…
昭和42年9月25日に発売された鶴岡雅義と東京ロマンチカのデビュー曲が『小樽のひとよ』。累計売上は150万枚を超える大ヒット曲ですが、北海道小樽市の小樽運河散策路に『小樽のひとよ』歌碑が築かれています。ご当地ソングの多い…
阿寒湖(北海道釧路市)といえば特別天然記念物のマリモですが、青函連絡船で北海道に渡った時代は、阿寒湖のマリモを見るというのは夢のような話でした。そんな昭和28年、大ヒットしたのが『マリモの唄』。阿寒湖畔に『マリモの唄』歌…
昭和47年2月に北海道札幌市で開催された『1972年札幌オリンピック』のテーマ曲が『虹と雪のバラード』(作詞:河邨文一郎、作曲:村井邦彦)。『虹と雪のバラード』歌碑は2月11日、札幌オリンピックのスキージャンプ競技90m…
岩手県和賀郡西和賀町(旧・湯田町)を流れる和賀川(わがかわ)を堰き止め、昭和39年に完成した重力式アーチダムが湯田ダム。堤高89.5m、洪水調節、不特定利水、水力発電を目的とした多目的ダムで、ダム湖は10月中旬~10月下…
大正7年、旧呉鎮守府水道の貯水池として、築造された水道用のダムが本庄水源地堰堤(本庄ダム)。堤高25m、堤頂長97mで、完成当時には東洋一の規模を誇っていました。稼働している水道施設としては全国初の国の重要文化財。通常時…
昭和9年に東海林太郎(しょうじたろう)が歌った大ヒット曲『赤城の子守唄』(作詞:佐藤惣之助・作曲:竹岡信幸)、そして昭和14年の『名月赤城山』(作詞:矢島寵児・作曲:菊地博)。国定忠治と赤城山をテーマにしたこの2曲の歌碑…
武田家滅亡の始まりともいえる長篠の戦い。愛知県新城市、新東名高速道路・長篠設楽原パーキングエリア近くの茶臼山(ちゃうすやま)にあるのが長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)の織田信長戦地本陣跡。織田信長は長…
愛知県新城市、長篠の戦いの設楽原決戦の地近くにのが新城市設楽原歴史資料館。織田・徳川連合軍が鉄砲3000丁、馬防柵を準備して武田の騎馬隊を退けたとされる「長篠・設楽原の戦い」と幕末の日米修好通商条約調印の立役者である岩瀬…
愛知県新城市、新城市設楽原歴史資料館近くにある塚。信玄塚と名が付いてはいますが、天正3年5月21日(1575年6月29日)の長篠・設楽原の戦い(長篠の戦い)の時にはすでに武田信玄は亡くなっています。信玄原(武田軍主陣地)…
愛知県新城市、長篠城(ながしのじょう)を眼前にする有海原の篠場野に立つ碑が鳥居強右衛門磔死之碑(とりいすねえもんたくしのひ)。長篠の戦いの際、徳川家康(岡崎城)への救援要請という重要な使命を負って豊川を泳ぎ下って長篠城の…
現在の愛知県新城市を舞台にした長篠の合戦の激戦地、長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)。武田軍のは精鋭の騎馬隊を誇りましたが、織田・徳川連合軍は、設楽原中央を流れる連吾川の西岸に馬防柵を2kmに渡って築き…
愛知県新城市、長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)にある、決戦の際に弾正山( だんじょうやま )に構えた徳川家康本陣跡。武田軍に包囲され籠城した長篠城を救援するため徳川家康は設楽原に出陣し、弾正山に陣を構…