瓦塚古墳
行田市の埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)にある全長73mの前方後円墳が瓦塚古墳。ビジターセンターとなっている「さきたま史跡の博物館」にもっとも近い古墳が、この瓦塚古墳です。埼玉古墳群の特徴である、長方形で二重の周濠(しゅ…
行田市の埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)にある全長73mの前方後円墳が瓦塚古墳。ビジターセンターとなっている「さきたま史跡の博物館」にもっとも近い古墳が、この瓦塚古墳です。埼玉古墳群の特徴である、長方形で二重の周濠(しゅ…
行田市の埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)にある全長66mの前方後円墳で、同じ渡柳地区にある戸場口山古墳(とばくちやまこふん/現存せず)、中の山古墳のなかで奥まった最北にあるのが名の由来です。周囲に台形の二重周濠を有してお…
行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)にある古墳の一基で、古墳群でもっとも南に位置しているのが中の山古墳。西側に奥の山古墳(前方後円墳)が並び、東に方墳(ほうふん=四角形の古墳)であるの戸場口山古墳(とばぐちやまこ…
行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の一基で、全長109mの前方後円墳が鉄砲山古墳。埼玉古墳群のなかでは二子山古墳(135m)、稲荷山古墳(推定120m)に次いで3番目の大きさを誇る前方後円墳。墳丘周囲の調査の際…
行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)で最初に築造されたと推測される古墳が稲荷山古墳。5世紀後半に造られた全長120mの前方後円墳で、古墳の上に小さな稲荷社があったのがその名の由来。前方部は昭和12年の沼地の干拓工…
埼玉県行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の中央、稲荷山古墳の南に位置する前方後円墳が二子山古墳。前方部と後円部という2つの山が連結したような形状が名の由来で、墳丘長132.2mは、古代の武蔵国(むさしのくに)で…
行田市にある埼玉古墳群(さいたまこふんぐん)の一基で、前方後円墳の将軍山古墳の墳丘を利用して造られたガイダンス施設が将軍山古墳展示館。荒廃し崩落寸前だった墳丘部をドームで覆い、内部に1階に出土した埴輪(はにわ)や土層断面…
行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の一基で、6世紀後半に築かれた全長90mの前方後円墳が将軍山古墳。後円部にあった横穴式石室が明治27年に発掘され、馬具や環頭太刀(かんとうたち)などの副葬品が出土しています。下…
行田市にある古墳で、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の一基が丸墓山古墳。直径105m、高さ18.9m、日本最大規模の円墳で、稲荷山古墳同様に上ることができ、墳頂からは、隣に稲荷山古墳、さらにその先に将軍山古墳が眺望できま…
昭和39年に忍城(おしじょう/行田市)の外堀と忍沼一帯を利用して開園した10.3haの都市公園が水城公園(すいじょうこうえん)。中国江南水郷式造園の手法を取り入れた水郷公園です。もともと忍城一帯は、映画『のぼうの城』にも…
映画『のぼうの城』で一躍有名になった、石田三成の忍城水攻め。その水攻めの際に築かれたのが石田堤と通称される総延長28kmに及ぶ堤です。行田市堤根地区から鴻巣市袋地区にかけて、250mが現存し、石田堤史跡公園として、埼玉県…
和田竜の歴史小説を映画化した映画『のぼうの城』(主演:野村萬斎、監督:犬童一心・樋口真嗣)で一躍有名になった石田三成と、忍城代・成田長親(なりたながちか)の忍城攻防戦。籠城を決め込む忍城に対し、三成は水攻めを試みるも・・…
桜はヒマラヤ原産で、ヒマラヤでは秋に咲きます。桜は交配を繰り返し、雑誌を生み出しながら進化北進を続け、沖縄では冬に、そして本州などでは春に、さらに北海道の道東のエゾヤマザクラは6月に(知床では7月に)咲くようになったので…
北本市にある、樹高14m、根回り7.4m、樹齢800年以上のカバザクラ(蒲桜)の古木で、国の天然記念物。三春の滝桜(福島県三春町)、山高神代桜(山梨県北杜市)、狩宿の下馬ザクラ(静岡県富士宮市)、根尾谷の淡墨桜(岐阜県本…
平成2年に公益財団法人日本さくらの会の創立25周年記念として、当時の建設省、運輸省、環境庁、林野庁、全国知事会、財団法人国際花と緑の博覧会協会の後援で選定された「日本さくら名所100選」。9つの基準をクリアして選ばれた「…
長瀞は「日本さくら名所100選」に選定の桜の名所。長瀞全体では3000本余桜があり、例年、3月下旬〜4月下旬という1ヶ月に渡ってのお花見が可能です。宝登山の参道や山麓にも桜が咲くので長瀞一帯の4月はまさに春爛漫! SLパ…
ナウマンゾウで知られるナウマン博士が明治11年、東京帝大地質学教室の初代教授となって初めて巡検に訪れた場所が長瀞。1億4000万年前の海底にあった土が結晶片岩に変化し、巨大な岩畳や甌穴(ポットホール)を生みだしました。岩…
扇谷上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗する足利氏の本城として1457(長禄元)年、上杉持朝(うえすぎもちとも)が太田道真、太田道灌父子に命じて築城した平山城。江戸時代には川越藩の藩庁となっています。明治6年の廃城令で建物は…