山王塚古墳
埼玉県川越市大塚にある古墳時代の終りに築かれた古墳が、山王塚古墳。上段が円形、下段が方形という全国に6基しか確認されていない上円下方墳。しかも下段一辺63m、上段直径47m、高さ5mという上円下方墳としては最大規模のもの…
埼玉県川越市大塚にある古墳時代の終りに築かれた古墳が、山王塚古墳。上段が円形、下段が方形という全国に6基しか確認されていない上円下方墳。しかも下段一辺63m、上段直径47m、高さ5mという上円下方墳としては最大規模のもの…
埼玉県加須市にある古社が玉敷神社(たましきじんじゃ)。その神苑が現在の玉敷公園で、玉敷神社の大藤と通称される樹齢450年以上の藤があります(「玉敷神社の藤」として埼玉県の天然記念物に指定)。例年ゴールデンウィーク頃が見頃…
埼玉県川口市舟戸町、荒川のスーパー堤防上に建つ真言宗智山派の寺が、善光寺。鎌倉時代初期の建久8年(1197年)、定尊が善光寺如来のお告げで、笈(おい)に入れた阿弥陀三尊を携えて諸国を訪ね歩き、笈が動かなくなったことから開…
埼玉県川口市金山町にある川口の総鎮守社が、川口神社(かわぐちじんじゃ)。社伝によれば、天慶年間(938年〜 947年)、足立郡司と武蔵国衙(むさいこくが)の判官代・武蔵武芝(むさしのたけしば)が創建という古社で、往時は氷…
埼玉県川口市末広1丁目、国道122号沿いにある瀟洒な洋館が、旧田中家住宅。大正12年築の木造レンガ造り3階建の洋館と、昭和9年に増築された和館からなる邸宅で、川口市立文化財センターの分館として見学が可能(建物は国の重要文…
埼玉県川口市本町1丁目、荒川のスーパー堤防近くの住宅地の一画に設けられた鎌倉橋記念緑地に立つ昭和35年建立の石碑が、鎌倉橋の碑。鎌倉街道(奥州街道)の中道(なかつみち)は、この場所で入間川(現在の荒川)を渡り、船戸原(現…
埼玉県川口市本町1丁目、国道122号沿いのUR都市機構UR賃貸住宅の2階・3階部分が、川口市立文化財センター。川口市内の貝塚などの遺跡から出土した土器などの遺物、近世に日光御成道の宿場として栄えた史料、そして地場産業であ…
埼玉県川口市東貝塚にある縄文時代後期・晩期の貝塚が、新郷貝塚。貝塚は馬蹄形で、南北150m、東西120mに及び、埼玉県を代表する貝塚として県の史跡にもなっています。明治26年、東京帝国大学人類学研究室・鳥居龍蔵博士が最初…
若き日の渋沢栄一に大いに影響を与えた尾高惇忠(おだかあつただ)は、渋沢栄一の従兄弟(いとこ)で、義理の兄。富岡製糸場の初代場長をも務めています。深谷市には生家が現存し、尾高惇忠、渋沢栄一らが高崎城乗っ取り計画を謀議したと…
埼玉県飯能市(はんのうし)と入間郡越生町(おごせまち)境界に位置する峠が、顔振峠(かあぶりとうげ)。奥武蔵の山中をうねうねと走る奥武蔵グリーンライン、関東ふれあいの道「グリーンラインに沿ったみち」途中にあり、「顔振茶屋」…
東京都葛飾区と埼玉県三郷市との県境に位置する中川(古利根川)の一部となる池が小合溜(こあいだめ)。小合溜井(こあいためい)とも呼ばれ、江戸時代に築かれた用水池「溜井」のひとつ。現在は葛飾区側が水元公園、三郷市側がみさと公…
埼玉県飯能市阿須にある、『ムーミン・シリーズ』(Mumin,Moomin)の作者として有名なトーベ・ヤンソンの想いを各所に生かした公園が、トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園。トーベ・ヤンソンに飯能市が送った1通の手紙…
埼玉県さいたま市見沼区、見沼自然公園近くにある片柳の加田屋新田を開発した坂東家の邸宅を再生したのが、旧坂東家住宅見沼くらしっく館。木造平屋建て、茅葺き屋根の農家で、幕末の安政4年(1857年)の築。囲炉裏には常に火が入れ…
埼玉県上尾市・さいたま市・川口市、東京都足立区を流れる江戸時代に開削された農業用水が見沼代用水東縁。徳川家康の関東入封後、関東郡代・伊奈忠治が八丁堤(堤防)を築いて、農業用ため池の見沼を築きますが、徳川吉宗の新田開発で、…
埼玉県上尾市・さいたま市・川口市を流れる江戸時代に開削された農業用水が見沼代用水西縁。徳川家康の関東入封後、関東郡代・伊奈忠治が八丁堤(堤防)を築いて、農業用ため池の見沼を築きますが、徳川吉宗の新田開発で、見沼を干拓し、…
埼玉県さいたま市緑区、芝川第一調整池の北側、芝川沿いにあるのが、浦和くらしの博物館民家園。さいたま市内に残る伝統的な建造物7棟を移築復元していますが、そのなかの1棟が旧浦和市農業協同組合三室支所倉庫。大正8年築の大谷石と…
埼玉県狭山市北入曽、同じ狭山市内の堀兼之井とともに、歌枕「ほりかねの井」の地とも推測されるのが、七曲井(ななまがりのい)。すり鉢の形をした巨大な井戸で、武蔵野台地や伊豆諸島にある「まいまいず井戸」(まいまい=カタツムリで…
埼玉県狭山市堀兼、堀兼神社の境内にある歌枕「ほりかねの井」の地とも推測されるのが、堀兼之井。直径7.2m、深さ1.9mの凹地となった井戸の中央に、石組の井桁が組まれており、武蔵野台地に数多い土地をすり鉢状に掘り下げ、井戸…