永昌院
山梨県山梨市にある曹洞宗の寺が、永昌院。永正元年(1504年)、武田信玄の曾祖父で甲斐守護の武田信昌(たけだのぶまさ=甲斐武田氏第16代当主)が創建した寺(本尊は釈迦如来)。永昌院は、武田信昌の法名で、江戸時代には伽藍は…
山梨県山梨市にある曹洞宗の寺が、永昌院。永正元年(1504年)、武田信玄の曾祖父で甲斐守護の武田信昌(たけだのぶまさ=甲斐武田氏第16代当主)が創建した寺(本尊は釈迦如来)。永昌院は、武田信昌の法名で、江戸時代には伽藍は…
山梨県南巨摩郡富士川町平林にある、富士山を眺める美しい棚田が、富士川町平林の棚田。櫛形山(くしがたやま/2052.2m)の東麓、赤石温泉へと通じる山梨県道413号(平林青柳線)沿い、標高700m〜900mに位置する棚田。…
山梨県南アルプス市、白峰三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)と白鳳渓谷を隔てて対峙する鳳凰三山(観音岳・地蔵岳・薬師岳)。鳳凰三山から南へ続く尾根途中、高谷山(1842.1m)との鞍部にあたるのが夜叉神峠(標高1760m)。白峰…
山梨県南アルプス市芦安(あしやす)地区から、夜叉神峠(やしゃじんとうげ)の下を夜叉神トンネルを抜け、野呂川の流れる白鳳渓谷・広河原に達し、さらに仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳鞍部の北沢峠までの林道が、県営林道南アルプス線(南アルプ…
山梨県南アルプス市、南アルプススーパー林道途中、北岳の登山口に位置するのが広河原。環境省の設置した「野呂川広河原インフォメーションセンター」横にあるのが、南アルプスの開祖碑です。ウォルター・ウェストン、名取運一、天野久の…
山梨県南アルプス市(旧芦安村)、南アルプス最奥の集落・芦安側から市営バスに乗り、南アルプススーパー林道(県営林道南アルプス線/マイカー規制を実施)を経て、夜叉神トンネルを抜けると白鳳渓谷。南アルプスの高峰の間を流れる、野…
山梨県甲州市塩山にある古社が、菅田天神社(かんだてんじんしゃ)。承和9年(842年)、甲斐国司の藤原伊勢雄が創建と伝えられ、甲斐源氏の守護神。寛弘元年(1004年)、菅原道真を相殿に祀ったことから天満宮となり、菅田天神社…
山梨県笛吹市春日居町にある古社が、加茂春日神社。平安時代に編纂された『延喜式神名帳』記載の古社で、賀茂・春日両神の合社で、賀茂社は欽明天皇(6世紀)の御代、春日社は文武天皇(7世紀後半~8世紀初頭)の御代に創建されたと伝…
山梨県笛吹市春日居町にある古社が、甲斐奈神社。甲斐奈神社は山梨県内に笛吹市内の一宮町、春日居町、甲府市と3社ありますが、そのうち春日居町の国府(こう)にある甲斐奈神社は、古代には、国庁近くに建立された甲斐国の総社ではなか…
甲斐奈神社は山梨県内に笛吹市一宮町、春日居町、そして甲府市と3社あり、そのうち一宮町にある甲斐奈神社は、周辺に甲斐国一之宮である浅間神社(あさまじんじゃ)や甲斐国分寺跡、甲斐国分尼寺跡があることなどから、古代には甲斐国の…
山梨県笛吹市八代町にある明治18年築で、旧大森銀行の支店にも使われた屋敷を再生した歴史ミュージアムが、笛吹市八代郷土館。経営者の大森慶次郎(おおもりけいじろう)の住宅兼八代支店だった建物を再生。1階には大森銀行の資料、郷…
山梨県笛吹市御坂町藤野木にある旧街道の石畳が、御坂峠(みさかとうげ)を越える御坂路石畳(みさかじいしだたみ)で、新田集落には石畳道の一部が現存。甲斐九筋(かいくすじ)のなかでも最古の官道が、甲斐路(かいじ)とも呼ばれた御…
山梨県笛吹市御坂町、30万本ともいわれる桃の花が咲く、笛吹市にある、桃源郷のビュースポットが、花鳥山展望台(はなとりやまてんぼうだい)。眼前を山梨リニア実験線が通るため、リニアの見える丘とも呼ばれ、花鳥山一本杉公園として…
笛吹桃源郷といわれる山梨県笛吹市一宮町にある桃畑越しに南アルプスを眺める眺望抜群の展望台が、一宮町花見台。一宮町の高台(標高600mほど)にあるため、周囲の桃の開花は少し遅いのが特徴。櫓のような展望台も建っており、残雪の…
山梨県笛吹市の大蔵経寺山の東南麓に鎮座し、平安時代の『延喜式神名帳』に記載されている式内社が、山梨岡神社(やまなしおかじんじゃ)。社伝によれば、崇神天皇の時代、疫病が蔓延したため勅命で日光山高千穂の峰(現在の御室山)に大…
山梨県南巨摩郡富士川町にある日蓮宗の本山が、妙法寺。持統天皇7年(693年)、役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたと伝わる古刹。往時には仁王山護国院金胎寺という真言宗の寺だったとか。建治元年(1275年)、住職・日伝が日蓮…
日川渓谷(ひかわけいこく)の上流、山梨県甲州市大和町木賊(とくさ)にある、臨済宗建長寺派の名刹が、天目山栖雲寺(てんもくさんせいうんじ) 。創建は南北朝時代の貞和4年・正平3年(1348年)。甲斐国守護・武田信…
山梨県甲州市勝沼町、国道20号沿いにあるのが、柏尾古戦場跡(かしおこせんじょうあと)。慶応4年3月6日(1868年3月29日)、新選組と会津藩兵からなる甲陽鎮撫隊(121名)は、因幡藩、板垣退助らの土佐藩、高遠藩からなる…