松江城(城山公園)
慶長16年(1611年)、信長・秀吉・家康に仕えた堀尾吉晴(ほりおよしはる)が亀田山に築城した城。関ヶ原の合戦後、堀尾吉晴、忠氏親子は月山富田城に入城しますが、山城で不便なため亀田山に松江城を築き、近世的な城下町を縄張り…
慶長16年(1611年)、信長・秀吉・家康に仕えた堀尾吉晴(ほりおよしはる)が亀田山に築城した城。関ヶ原の合戦後、堀尾吉晴、忠氏親子は月山富田城に入城しますが、山城で不便なため亀田山に松江城を築き、近世的な城下町を縄張り…
美濃・岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、備中松山城(岡山県高梁市)とともに「日本三大山城」に数えられる名城が奈良県高市郡高取町にある高取城。南北朝時代、元弘2年・正慶元年(1332年)、南朝方の越智邦澄(おちくにずみ)によっ…
竹田城(兵庫県朝来市/標高353.7m)が雲海に浮かぶ「天空の城」として有名ですが、その絶景では岡山県高梁市の備中松山城(日本三大山城、日本100名城)も負けず劣らずです。雲海に浮かぶ「天空の城」は、備中松山城東側の尾根…
岡山県高梁市、高梁川を眼下にする4つの峰からなる臥牛山(487m)の山上に建つ山城。岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、高取城(奈良県高取町)と並び日本三大山城に数えられています。往時の天守が残る現存12天守のうちでも唯一の山…
宇和島城は、愛媛県宇和島市街の中心部、標高80mの丘陵地にある平山城。丸串城と呼ばれた中世の砦があったが、板島(現在の宇和島)に入城した築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が大改修を行ない、慶長6年(1601年)にほ…
慶長9年(1604年)、築城・縄張の名人、伊予半国20万3000石の大守・藤堂高虎(とうどうたかとら)により完成したのが今治城(いまばりじょう)。海上の要衝・来島海峡(くるしまかいきょう)に面した今治港の南、三重の濠に海…
彦根城(滋賀県彦根市)は、姫路城などとともに国宝5天守の一つに数えられる名城で、約20年の歳月をかけて元和8年(1622年)頃に完成をみた彦根藩井伊家35万石の居城です。琵琶湖八景「月明・彦根の古城」に数えられるほど優美…
文化10年(1813年)、彦根藩11代藩主・井伊直中(いいなおなか)の隠居に際して再整備されたのが玄宮園。隣接する楽々園とともに江戸時代には「槻御殿」(けやきごてん)と呼ばれた彦根藩の下屋敷(二の丸御殿)でした。その玄宮…
彦根城の二の丸に築かれた大名庭園が玄宮園。庭園内の築山(つきやま)に造られた茶室が鳳翔台(ほうしょうだい)です。彦根藩主が客人をもてなすために建てた客殿。今では入園者の休息所となっていて、湖東三山の名水として有名な十王村…
彦根城の北東の位置する大名庭園が玄宮園(げんきゅうえん)。彦根藩第4代藩主・井伊直興(いいなおおき)が廷宝7年(1679年)に完成させた、彦根城二の丸御殿に付随する二の丸庭園。唐の玄宗皇帝(8世紀)の離宮を模して造られて…
彦根市にある楽々園は、延宝7年(1679年)、彦根藩の二の丸御殿として造営されたもので「槻御殿」(けやきごてん)と呼ばれていました。幕末の大老で、日米修好通商条約に調印し、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼(いいなおすけ)…
彦根城の佐和口を入ったところある藩主用の馬屋は、元禄年間(1688年〜1703年)築で、常に十数頭の藩主用の馬がつながれていた場所です。日本の城郭の中で、城内に往時の馬屋が現存するのは彦根城だけで、国の重要文化財に指定。…
彦根城の中堀に開く、南の京橋口、西の船町口、北の長橋口とともに4つの門のひとつが佐和口。その佐和口を守るのが佐和口多聞櫓(さわぐちたもんやぐら)で、国の重要文化財。大手の京橋口とともに彦根城の重要な城門です。二階二重の櫓…
彦根城には、天守のない他の城なら十分に代用天守となるような立派な三重櫓が2つ築かれています。ひとつが山崎曲輪(やまざきくるわ)の三重櫓で、こちらは明治維新後に破却されていますが、西の丸三重櫓(にしのまるさんじゅうやぐら)…
彦根城本丸への登城道で最後の関門として立ちふさがるのが太鼓門櫓(たいこもんやぐら)。国の重要文化財に指定される太鼓門櫓は、門櫓の南側に屈曲に続櫓が備えられています。登城合図用の太鼓の音を響かせるためなのか(定かでありませ…
彦根城・天秤櫓と天守の間にあるのが城内と城下に時を知らせた時報の鐘。元々は鐘の丸にありましたが、岩盤に反響して鐘の音が割れることが多かったので城下一帯に響き渡るようにと井伊直滋(いいなおしげ)の考案により現在地に移された…
正面から眺めると天秤のように左右が対となった彦根城の天秤櫓(てんびんやぐら)は、表門や大手門を入った道が合流する鐘の丸の空堀に面して建てられている要の櫓。鐘の丸とは廊下橋で結ばれている。空堀は表側の防備のためにある堀で、…
彦根城の国宝に指定される天守は、牛蒡(ごぼう)積みと呼ばれる一見雑に見えるが実は強固だという石垣の上に三重の天守をのせたもの。天守完成の慶長11年(1606年)には、彦根藩はまだ18万石。石高に合わせたやや小ぶりの天守と…