中山隧道
新潟県長岡市山古志地区の東端・小松倉集落と旧広神村(現・魚沼市)を結ぶ、全長877mの手掘りのトンネルが中山隧道(なかやまずいどう)。のべ3000人以上の小松倉集落住民の労働奉仕で、つるはしだけで掘ったという隧道は、人が…
新潟県長岡市山古志地区の東端・小松倉集落と旧広神村(現・魚沼市)を結ぶ、全長877mの手掘りのトンネルが中山隧道(なかやまずいどう)。のべ3000人以上の小松倉集落住民の労働奉仕で、つるはしだけで掘ったという隧道は、人が…
平成19年に築城400周年を迎えた熊本城(熊本県熊本市)で、熊本城第2期復元整備計画(平成20年度~平成29年度)で復元が行なわれたのが本丸御殿。本丸御殿大広間が一般公開され、居間であり、対面所(接客の場)としても使用さ…
静岡県三島市に隣接する清水町(しみずちょう)にある湧水群で環境省の「名水百選」に選定されるのが柿田川湧水群。1日に100万t以上という、東洋一の湧出量を誇る水源地周辺は柿田川公園として緑地公園化され、2ヶ所の展望台からこ…
埼玉県横瀬町にある曹洞宗の寺、大慈寺。秩父三十四所観音霊場・札所10番で本尊は、平安時代の天台僧・恵心僧都(えしんそうず=源信)作という伝承の聖観世音菩薩で、子供を抱いた子安観音(金銅仏)、地蔵菩薩、十一面観音も安置され…
埼玉県横瀬町にある建久2年(1191年)、明智禅師の開創と伝えられる古刹が明智寺。秩父三十四所観音霊場・札所9番で、観音堂は札所5番の語歌堂と同時代に同形式で建立されています。その観音堂は、明治16年に落雷で焼失し、平成…
秩父札所めぐり途中、第5番・語歌堂から第10番・大慈寺までは、埼玉県横瀬町にあります。秩父三十四所観音霊場・札所7番が法長寺(ほうちょうじ)。山号は青苔山(せきたいざん)で、当初、根古屋3区の牛伏にあったので牛伏堂と呼ば…
埼玉県横瀬町の武甲山を眺める高台に建つのが秩父三十四所観音霊場・札所6番で、曹洞宗の寺、卜雲寺(ぼくうんじ)。荻野堂(おぎのどう)と呼ばれ、本尊は行基作と伝わる聖観音です。寺伝によれば本尊・聖観音は武甲山頂の蔵王権現社に…
神奈川県相模原市緑区を流れる相模川に架る4径間連続の美しいアーチ橋が小倉橋(おぐらはし)。相模川に架かる橋梁としては現存する最古の橋で、昭和13年開通。開通以前には小倉の渡しという渡船がありました。土木学会選奨土木遺産、…
鹿児島県鹿児島市の鹿児島港北埠頭の岸壁にあるのが鹿児島港旧石積防波堤。もともとは江戸時代末期の弘化・嘉永年間(1844年〜1853年)に築造された新波止に、島津斉彬(しまずなりあきら)が沖合に石積み防波堤を築き、大砲を備…
長崎県南島原市、口之津港の入口、土平崎の高台に建つのが口之津灯台。明治13年5月10日に初点灯という歴史ある灯台です。明治時代に三池炭鉱で採掘された石炭の積出港として栄えた長崎県南島原市口之津港の入口に建設された、八角形…
神奈川県山北町を流れる二級水系・酒匂川(さかわがわ)水系の河内川に建設された土質遮水(しゃすい)壁型ロックフィルダム。湖底に沈む三保村に因んだダム名で、5門のゲート(水門)のある神奈川県企業庁が管理。洪水調整、水利、上水…
その昔、長崎(現・長崎県長崎市)の人々は、東洋人以外の外国人をオランダさん(和蘭さん)と呼びました。長崎市の東山手一帯は幕末の開国に伴い、外国人居留地となった場所で、外国人の往来が多かった坂道をオランダ坂と通称。東山手の…
東丹沢を流れる中津川に平成12年に完成した宮ヶ瀬ダムのダム湖が宮ヶ瀬湖。神奈川県愛川町、清川村、相模原市緑区の3市町村にまたがる湖で、「ダム湖百選」にも選定されています(神奈川県ではほかに丹沢湖が選定)。「都心から一番近…
神奈川県山北町にある富士山を眺める美しい湖が丹沢湖。昭和53年、西丹沢の酒匂川(さかわがわ)水系の河内川に造られた三保ダムの完成により出現した人造湖。岩石や砂利などで地盤を固めるロックフィル式の三保ダムは、丹沢水系の豊か…
日本100名城に数えられる小田原城(神奈川県小田原市)。現存する小田原城天守閣は、昭和35年、小田原市制20周年記念事業として総工費8000万円をかけて建設された復興天守。宝永3年(1706年)の再建の際に作られた模型や…
小田原から箱根へと上る箱根ターンパイク沿いにある標高262mの尾根状のピークが石垣山。ミカン畑が広がるのどかな山ですが、東は相模湾に臨み、北は小田原市街を眼下にするという立地から、戦国時代末に豊臣秀吉が「石垣山一夜城」を…
古都・鎌倉の都市計画は、源頼朝が鎌倉入りした直後の治承4年10月12日(1180年11月1日)、鶴岡八幡宮を現在地に遷し、海岸から八幡宮への参道となる若宮大路を開いたのが始まり。その若宮大路には海岸から一の鳥居、二の鳥居…
鎌倉(現・神奈川県鎌倉市)に幕府を開くにあたり、源頼朝(みなもとのよりとも)が行なった都市計画で、メインストリートとして造成されたのが海岸と鶴岡八幡宮を結ぶ若宮大路。参道を兼ねるため一の鳥居から三の鳥居まで途中3つの鳥居…