飛龍観
文珠山山上の天橋立ビューランド内にあるのが飛龍観で「天橋立四大観」のひとつ。ここからは南から北へと真一文字にのびる天橋立を真っ正面に望むことができる絶景の展望台。「股のぞき」で眺めると松がうろこ、白砂が背びれで、龍が天に…
文珠山山上の天橋立ビューランド内にあるのが飛龍観で「天橋立四大観」のひとつ。ここからは南から北へと真一文字にのびる天橋立を真っ正面に望むことができる絶景の展望台。「股のぞき」で眺めると松がうろこ、白砂が背びれで、龍が天に…
天橋立を眺める絶景の展望台「飛龍観」のある文珠山にある遊園地が天橋立ビューランド。来園者の多くは、飛龍観が第一の目的ですが、観覧車、園内を一巡するサイクルカー(サイクルモノレール)などからは、真正面に真一文字にのびる天橋…
京丹後市丹後町筆石の海岸にある奇岩。海岸に毅然と立つその岩の姿が屏風のように見えることが屏風岩の名の由来です。海食崖の断崖のすぐ沖合に、石英安山岩の「離れ岩」が立っているもの。屏風岩自体は一枚岩ですが、北西方向に一直線状…
間人蟹(たいざがに)で有名な京丹後市丹後町間人の後ヶ浜海岸(のちがはまかいがん)にある奇岩。玄武岩の柱状節理でできている自然岩ですが、高さ20mで、陸繋砂州(トンボロ)で陸地とつながって島のようなかたちとなっています。後…
京都府宮津市の金引山の山中、滝馬川(たきばがわ)に懸かる落差40m、幅20mの滝。数条に分かれ、岩肌を滑るように流れ落ちる優美な滝で、右側が男滝、左側が女滝と呼ばれています。京都府では唯一、「日本の滝百選」に選定。下流に…
日本三景のひとつ、松島(宮城県)に似ていることから名付けられた景勝地が京丹後市にある丹後松島。犬ヶ岬園地から東側の経ヶ岬を眺望すると、いくつかの小島が海に浮かんでいるように見えますが、実はこれらの島々はすべて陸続きになっ…
丹後半島最北端の岬。岬の先端、海抜140mの断崖上には明治31年に初点灯した経ヶ岬灯台があり、灯台へは駐車場から400mの遊歩道(階段状の山道)を15分かけて登ります。明治期に建設された石造の灯台として国の重要文化財に指…
金沢能楽美術館内にあり、希少伝統工芸と呼ばれる加賀友禅や加賀象嵌、加賀水引細工、金沢漆器、加賀毛針、三弦(三味線)、和傘、提灯、二俣和紙などの伝統工芸を扱うアンテナショップが金沢・クラフト広坂。二俣和紙のぽち袋、加賀繍の…
明治の中頃から、大正、昭和にかけて300編あまりの作品を発表し、徳田秋聲、室生犀星と並んで「金沢三大文豪」にも数えられる泉鏡花の足跡を紹介するのが泉鏡花記念館。泉鏡花記念館は鏡花の生家跡(金沢下新町23番地)に建てられ、…
金沢の伝統産業である金箔についてのミュージアムで、金箔の製造工程から金箔を使った美術工芸品、製造道具など480点あまりを一堂に紹介するのが金沢市立安江金箔工芸館。「箔移し」の実演コーナーでは、箔の見事なまでの薄さが実感で…
加賀藩士・寺島蔵人(てらしまくらんど)は禄高450石の中級武士として、農政、財政の実務的な仕事を歴任。1777(安永6)年に、藩から邸地を拝領し新築したといわれる邸宅は、家屋、土蔵、土塀が現存し、中級武家屋敷の特徴を伝え…
1863(文久3)年、加賀藩13代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)が母・眞龍院(12代斉広夫人・隆子)のために造営した巽御殿(たつみごてん=隠居所)が成巽閣(せいそんかく)で、国の重要文化財。もともとは金沢城より巽(たつ…
金沢城の西側、北陸随一の繁華街でもある香林坊に近い長町一帯が藩政時代の武家屋敷群である長町武家屋敷跡。加賀藩の中級から上級武士の屋敷があった場所で、敵の侵入を防ぐために造られた袋小路や複雑に曲がりくねった道など、城下町の…
金沢市街を流れ、別名「男川」と呼ばれている犀川(さいがわ)に架かる鉄橋が犀川大橋。初代の橋は1594年(文禄3)年、加賀藩・初代藩主、前田利家が北国街道(ほっこくかいどう)に架けたもの。現在の橋は、大正13年に英国製の鋼…
藩政時代からの歴史を持つにし茶屋街は、お茶屋が軒を並べた花街。明治以後も歓楽街としてにぎわいましたが、戦後は遊廓の廃止とともに料亭などに変わっています。現在は、料亭や芸妓置屋が軒を連ね、今も古い時代の風情を残しています。…
金沢にはひがし、にし、主計町(かずえまち)の3つの茶屋街があり、なかでももっとも格式の高い茶屋街がひがし茶屋街。1820(文政3)年に設置され、京・祇園に並ぶといわれた歴史と格式を誇る花街です。国の重要伝統的建造物群保存…
金沢の庶民が通った花街(はなまち)が浅野川沿いにある主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)。戦前まで鼻の下を伸ばした男たちは、中の橋をいそいそと渡り、人目に付かないように「暗がり坂」の石段を歩いて、主計町に通ったのだとか。…
浅野川大橋の下流側に架かる歩行者専用の木造の橋が中の橋。東山から主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)に通うには便利な橋です。藩政時代の末期に住民が有料の「一文橋」として架けたのが始まり。昭和28年の大水で流出しましたが昭…