天窓洞
静岡県賀茂郡西伊豆町、堂ヶ島温泉にある海蝕洞(二穴洞窟)が、天窓洞。その名の通り、海蝕洞の天井部分が崩落し、洞窟内部に太陽光が差し込むため、海が透明感あふれる青に輝き、青の洞窟とも呼ばれています。堂ヶ島遊歩道を使って上か…
静岡県賀茂郡西伊豆町、堂ヶ島温泉にある海蝕洞(二穴洞窟)が、天窓洞。その名の通り、海蝕洞の天井部分が崩落し、洞窟内部に太陽光が差し込むため、海が透明感あふれる青に輝き、青の洞窟とも呼ばれています。堂ヶ島遊歩道を使って上か…
東京都港区赤坂9丁目、六本木、東京ミッドタウンにある美術館が、サントリー美術館。国宝、重要文化財を含む約3000件を所蔵し、日本美術を中心とした企画展を開催。前身は昭和36年に東京・丸の内に開館したサントリー美術館で、赤…
奈良県天川村(てんかわむら)、洞川温泉(どろがわおんせん)にあるのが、面不動鍾乳洞(めんふどうしょうにゅうどう)。奈良県道21号(大峯山公園線)沿いの集落と、山の斜面に開く洞口とを結ぶのが洞川財産区が運行する面不動モノレ…
奈良県天川村(てんかわむら)、洞川温泉(どろがわおんせん)にあるのが、面不動鍾乳洞(めんふどうしょうにゅうどう)。大峯山の登山口、標高878mに位置する鍾乳洞で、昭和8年に発見されてから5年の歳月をかけて発掘され、延長2…
新潟県長岡市を流れる信濃川に架かる国道351号(重複国道として国道403号、国道404号)のトラス橋が長生橋(ちょうせいばし)。昭和12年完成の3代目のとなる橋で、現存する日本唯一の多連・上曲弦方式のトラス橋ということか…
東京都世田谷区、広大な緑に包まれた砧公園、北側の美術館通り沿いに建つのが、世田谷美術館。収蔵作品はアンリ・ルソーなどの素朴派、北大路魯山人(きたおおじろさんじん)の書画や器、世田谷にゆかりの作家など、近現代の作品を中心に…
東京都江東区深川1丁目、清澄庭園の南を流れる仙台堀川沿い、海辺橋の南詰にあるのが、採荼庵跡(さいとあんあと)。松尾芭蕉の門人の杉山杉風(すぎやまさんぷう)の庵の跡で、元禄2年(1689年)、芭蕉はここから『奥…
愛媛県西予市宇和町岩木、JR予讃線・伊予石城駅(いよいわきえき)近く、予讃線の線路沿いの田んぼに配されたアートが、わらマンモス。「わらで作ったマンモスの親子と、わらで作ったお家」(わらマンモスとわらぐろ群)というアート群…
新潟県新潟市中央区関屋、関屋分水路が日本海に流れ出す河口部にある都市公園が、関分記念公園。タコの滑り台があることから地元では「たこ公園」とも呼ばれる公園で、新潟市街地を洪水から守る関屋分水路(全長1.8km)の完成を記念…
東京都目黒区三田1丁目、恵比寿ガーデンプレイス内に平成28年にリニューアルオープンした、写真専門の美術館が、東京都写真美術館(愛称はTOP MUSEUM)。写真作品(オリジナル・プリント)を中心とする収蔵作品は4万点近く…
静岡県賀茂郡西伊豆町、西伊豆観光のハイライトともいえるのが堂ヶ島の天窓洞(てんそうどう)。堂ヶ島マリンの「洞くつめぐり遊覧船」に乗船すれば、海食洞窟で天然記念物の天窓洞、トロンボ現象が起こる三四郎島などを洋上から見学がで…
新潟県新潟市中央区に建つ高層ビルがNEXT21(ネクスト21)。新潟市役所跡地を再開発して誕生した新潟のランドマークで、地上21階(高さ125m)は、新潟では万代島ビル(朱鷺メッセ)に次ぐ高層建築。最上階の19階は、入場…
新潟県西蒲原郡弥彦村、弥彦山の麓に建つ古民家が、旧武石家住宅。弥彦村指定文化財の旧武石家住宅の主屋は、18世紀初頭の築と推測される民家。付随する味噌蔵と薪小屋は国の登録有形文化財に指定されています。
弥彦山を縦断するように走る山岳ドライブウェイ(新潟県新潟市西蒲区〜西蒲原郡弥彦村)が、弥彦山スカイラインで、正式名は新潟県道561号弥彦岩室線。猿ヶ馬場ゲート~弥彦山頂公園~間瀬ゲートを結ぶ総延長13.7kmは、冬季は積…
新潟県新潟市西蒲区間瀬、国道402号・越後七浦シーサイドライン途中、間瀬保育園の西側にある臨海公園が、こめぐりの郷公園。北側に隣接する間瀬こめぐりシーサイドパークとともに夕日観賞・撮影に人気のスポットになっています。
静岡県伊豆市(旧・土肥町の南部)小下田(こしもだ)にある断崖状の岬(以前の地名は廻り崎)が、恋人岬。グアムにある恋人岬と姉妹提携したことから恋人岬と命名され、全国に数ある恋人岬のうち、富士山のビューポイントはこの伊豆市だ…
新潟県新潟市西蒲区、角田山の麓に広がる26haの都市公園が、上堰潟公園(うわせきがたこうえん)。もともとは灌漑用の人造湖、上堰潟があった場所で、減反政策による干拓の中止によって、陸化した潟の掘削が行なわれ、治水対策と自然…
静岡県沼津市下香貫にある沼津御用邸一帯を記念公園として公開したのが、沼津御用邸記念公園。明治26年、皇太子だった大正天皇の御静養別御殿として開設され、明治38年に沼津御用邸となったもの。昭和44年に御用邸としての機能を終…