湖尻水門
神奈川県箱根町、芦ノ湖の北岸、湖尻にある芦ノ湖の水門が湖尻水門。芦ノ湖には湖水を農業用水、発電用の用水として活用する深良用水の取水口となる深良水門と、早川の源流となる湖尻水門の2ヶ所の水門があり、芦ノ湖の水位調節に使われ…
神奈川県箱根町、芦ノ湖の北岸、湖尻にある芦ノ湖の水門が湖尻水門。芦ノ湖には湖水を農業用水、発電用の用水として活用する深良用水の取水口となる深良水門と、早川の源流となる湖尻水門の2ヶ所の水門があり、芦ノ湖の水位調節に使われ…
神奈川県箱根町、芦ノ湖の北岸、湖尻一帯は神奈川県と環境省によって緑地園地として整備され、のんびりと散策を楽しむことが可能。湖尻園地と総称されるのは箱根ビジターセンター周辺の森と広場。花の広場、子供の広場、森の広場、野鳥の…
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原(せんごくはら)、陶芸家・黒川淳氏が昭和61年に開いた仙石原の窯元が仙石窯(せんごくがま)。「陶器は使ってこそ価値がある」との考えから価格も手頃で、コーヒーカップ、湯呑み、ぐい呑みなども販売さ…
神奈川県足柄下郡箱根町小涌谷、小涌谷温泉(こわくだにおんせん)にある三河屋旅館の創業者・榎本恭三(えのもときょうぞう)の庭園が蓬莱園。榎本恭三が大正初期に40種に及ぶツツジ、サツキを約3万本植栽した蓬莱園を開園させたもの…
神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下、宮ノ下温泉の富士屋近くにある明治11年創業の写真館が嶋写真店。富士屋ホテルの開業と同時に開店した写真館で、店頭には初代店主が写した明治、大正時代の箱根の風景の写真が飾られ、古い写真のプリント…
神奈川県足柄下郡箱根町湯本、箱根湯本の早雲通りの山際に建つ寺で、京都大徳寺の末寺が正眼寺(しょうげんじ)。鎌倉時代は地蔵信仰の霊地だった場所で、地蔵を安置していた湯本地蔵堂の別当、勝源寺が寺の前身です。今でも毎年9月21…
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原にある箱根火山・カルデラ底の自然の地形を活かした植物園が箱根湿生花園。年間を通し低温、多湿な仙石原(せんごくはら)は湿原植物の宝庫。湿原地域のほとんどは湿原保護のために立入禁止ですが、箱根湿生…
神奈川県足柄下郡箱根町湯本、北条氏綱(ほうじょううじつな/北条早雲の子)が北条早雲の遺命で創建した早雲寺の裏山一帯が早雲公園。スダジイなどがうっそうと茂り(神奈川県の天然記念物「早雲寺林」)、珍しいヒメハルゼミの棲息地と…
箱根登山鉄道塔ノ沢駅の上りホームのはずれに祀られている銭洗弁財天。大正8年に登山鉄道は開業していますが、銭洗弁財天は塔之沢温泉に宿泊していた相場師で、松井証券(松井房吉商店)創始者・松井房吉の夢枕に白蛇が現れたことがきっ…
神奈川県足柄下郡箱根町塔之澤、塔ノ峰の山腹に建ち、箱根はもちろん、関東では珍しい山寺の雰囲気とアジサイの名所として知られているのが阿弥陀寺(あみだじ)。箱根登山鉄道・塔ノ沢駅から続く参道には、数千株というアジサイが咲き誇…
神奈川県足柄下郡箱根町湯本、湯本温泉街の施設充実の旅館「天成園」内にある滝が玉簾の滝・飛烟の滝(たまだれのたき・ひえんんたき)。幾筋にも分かれた水が、玉すだれのように美しく散って落ちる玉簾の滝は、清涼感たっぷり。落差8m…
神奈川県足柄下郡箱根町、大平台にある姫の水は、江戸時代に富士山信仰で栄えた浅間山の伏流水が湧き出したもので、小田原北条氏の姫君が朝夕の化粧水として愛用していたといわれる名水。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻め…
神奈川県足柄下郡箱根町底倉、宮ノ下を流れる蛇骨川の左岸にある岩盤をくり抜いた石風呂が、太閤石風呂(たいこうのいわぶろ)。縦1m、横3mほどの岩穴に、天然の温泉が湧いています。豊臣秀吉が天正18年(1590年)の小田原攻め…
神奈川県三浦市、三浦半島最南端、城ヶ島の東半分14.6haは、県立城ケ島公園として整備されています。東京湾要塞を構成する砲台として大正15年に城ヶ島砲台が築かれ、島内は立入禁止となったため、豊かな自然が残されたのです。そ…
神奈川県三浦市三崎町、三浦半島の最南端に位置する城ヶ島の西端に位置するのが長津呂崎。その背後の標高21mの高台には、城ヶ島灯台が建っています。長津呂崎の岩棚は、関東大震災など、過去の大地震で隆起したもの。海岸沿いに遊歩道…
神奈川県三浦市三崎町、三浦半島の最南端、城ヶ島。城ヶ島の東半分はかつての城ヶ島砲台の跡地を利用した県立城ケ島公園(14.6ha)となっていますが、島の東端、安房崎に建つのが安房埼灯台です。現在の灯台は、令和2年3月に、高…
神奈川県三浦市三崎町、三浦半島南端の城ヶ島の太平洋に臨む断崖の上にあるのがウミウ展望台。城ヶ島一の景勝地・馬の背洞門から遊歩道で島の台地上へと上がった先、赤羽根海岸の上がウミウ展望台で、神奈川県の天然記念物「城ヶ島のウミ…
神奈川県三浦市、三浦半島南端の城ヶ島に設置された砲台の跡が城ヶ島砲台跡。文化5年(1808年)、浦賀奉行・岩本正倫が異国船監視の砲台を築いたのが始まりで、大正15年、三浦半島の要塞化に伴い東京湾要塞の一部として本格的な砲…