竹瓦小路
竹瓦温泉の向い、オープンカフェのTAKEYA脇から流川通りに延びる細い小路が竹瓦小路。車の進入は無理というこの細い小路には、別府最古はもちろんのこと、現存する日本最古という木製アーケードがかかっており、市営の竹瓦温泉とと…
竹瓦温泉の向い、オープンカフェのTAKEYA脇から流川通りに延びる細い小路が竹瓦小路。車の進入は無理というこの細い小路には、別府最古はもちろんのこと、現存する日本最古という木製アーケードがかかっており、市営の竹瓦温泉とと…
門司港第一船だまりの入口に架かる歩行者専用の跳ね橋がブルーウィングもじ。船の航行にあわせて午前2回(10:00・11:00)、午後4回(13:00・14:00・15:00・16:00)、1日計6回、橋が音楽にあわせて跳ね…
天智天皇(てんじてんのう)が約1300年前に九州の政治の中心として創建した役所が大宰府政庁(だざいふせいちょう)。奈良から平安時代にかけて九州を治め、わが国の西の守りとしての防衛を、また外国との交渉の窓口として重要な役割…
錦帯橋(きんたいきょう)は、1673(延宝元)年、3代岩国藩主・吉川広嘉(きっかわひろよし)の命により築かれた5連アーチ型の木橋。杭州の西湖にある「錦帯橋」をモデルに架けられたという。猿橋(山梨県大月市)、祖谷のかずら橋…
山梨県大月市を流れる桂川に架かる全長30.9m、幅3.3m、谷からの高さ31mの木造橋が猿橋。愛本橋(現存せず)、岩国の錦帯橋とともに、日本三奇橋に数えられています(祖谷のかずら橋、日光・神橋を加える場合も)。橋脚を使わ…
扇状地が隆起し、砂礫層でできた山の斜面が浸食作用を受けて数十の土の柱を形成したという奇観が徳島県阿波市にある阿波の土柱(あわのどちゅう)で、国の天然記念物に指定。日本最大の断層である中央構造線も生成にからみ、内外の地質学…
祖谷渓(いやだに)にはかつて13のかずら橋がありましたが、現存するのは三好市東祖谷村の奥祖谷二重かずら橋と、三好市西祖谷山村にある善徳のかずら橋の2つ。奥祖谷二重かずら橋は、秘境ムードたっぷりの橋で、長さ約43mの男橋と…
徳島県三好市、吉野川の支流、祖谷川(いやがわ)に架かる祖谷のかずら橋は、長さ45m、幅2mのシラクチカズラで作られた吊り橋。山梨県大月市の桂川に架かる猿橋、山口県岩国市の錦川に架かる錦帯橋に並び「日本三奇橋」のひとつ。橋…
阿波おどり会館5階の山麓駅と眉山山頂の山頂駅を結ぶのが眉山ロープウェイ。丸いゴンドラが2台連なるユニークスタイルから「ひょうたんビュー号」の愛称がありますが、ゴンドラ内での行き来はできません。高低差242mを6分で上った…
徳島市街に隣接する標高280m内外の丘陵地が眉山(びざん)。山頂を中心に眉山公園として整備され、春の桜や秋の紅葉が美しい展望地。眉山パークウェイ(全長2850m)や阿波おどり会館5階からの眉山ロープウェイで、手軽に山頂に…
美波町にある薬王寺は、四国八十八ヶ所霊場第23番札所で22番の平等寺からは3ヶ所の峠を越える行程。この薬王寺まで巡礼すれば阿波国23ヶ所「発心の道場」を終えたことになります。奈良時代に行基が開基したと伝わる古刹で、815…
愛南町御荘平城にある平城山薬師院観自在寺(かんじざいじ)。807(大同2)年、平城天皇の勅願所として、空海が創建した真言宗大覚寺派の古刹で、本尊の薬師如来と脇仏の阿弥陀如来、十一面観音菩薩は空海の作と伝わっています。四国…
724(神亀元)年、聖武天皇の勅願で行基が薬師如来を刻んで本尊とし、堂塔を建立したのが始まりと伝えられる古刹が宿毛市の延光寺。795(延暦14)年、空海(弘法大師)が巡錫し桓武天皇の勅願所として再興、四国八十八ヶ所霊場3…
天平年間(729~749年)、聖武天皇の勅願で行基が開いた仁井田明神の別当寺・福円満寺が創始という古刹が四万十町役場に近い岩本寺(四国八十八ヶ所霊場第37番札所)。行基はこの地に宝福寺、長福寺など合計7ヶ寺を開いています…
土佐市の醫王山の中腹に建つ清滝寺(四国八十八ヶ所霊場第35番札所)の寺伝によれば、723(養老7)年、行基が自刻の薬師如来像を安置して堂を建て景山密院繹木寺としたのが創始という古刹。弘仁年間(810~824年)に空海(弘…
仁淀川の本流に架かる浅尾沈下橋は、平成22年9月11日公開の映画『君が踊る、夏』(監督:香月秀之、主演:溝端淳平)、平成25年5月公開の高知を舞台とした映画『県庁おもてなし課』(監督:三宅喜重、主演:錦戸亮、堀北真希)の…
804(延暦23)年、遣唐使の一員として唐に渡った空海(弘法大師)は長安の青龍寺で恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に真言密教の教えを受けます。帰国した空海は横浪半島の先端の山上(現・土佐市)に一宇を建立して不動明王を安置。そ…
種間寺(四国八十八ヶ所霊場第34番札所)は、寺伝によれば577(敏達天皇6年)、大坂の四天王寺建立のため百済王(くだらおう)が派遣した仏師や画工達が務めを終えて朝鮮半島に帰国する途中、暴風雨にあって難破し秋山の湊へ寄港。…