高山不動尊
武蔵の高幡不動、下総の成田不動と並んで「関東三大不動」のひとつに数えられる奥武蔵の名刹が高山不動尊(たかやまふどうそん)。創建は654(白雉5)年という古刹で、正式名は高貴山常楽院。往時は36坊を持つ修験道場として隆盛を…
武蔵の高幡不動、下総の成田不動と並んで「関東三大不動」のひとつに数えられる奥武蔵の名刹が高山不動尊(たかやまふどうそん)。創建は654(白雉5)年という古刹で、正式名は高貴山常楽院。往時は36坊を持つ修験道場として隆盛を…
埼玉古墳群(さきたまこふんぐん/さきたま古墳公園)の鉄砲山古墳(前方後円墳)の東隣りにある円墳が浅間塚古墳(前玉神社)。後世に築かれた塚という説もあって史跡公園となる埼玉古墳群には加えられていませんが、近年の調査で幅10…
海岸に湧出する高温の温泉(ナトリウム塩化物泉)を利用した、指宿名物の砂むしを楽しむなら砂むし会館「砂楽」。浴衣に着替えて熱い砂をかけると、10分ほどで全身から汗が噴き出してくる。天然の砂むし風呂の泉質は、ナトリウム-塩化…
長瀞町の宝登山山麓にあるのが宝登山神社(寳登山神社/ほどさんじんじゃ)。秩父神社、三峯神社とともに秩父三社の一社で、宝登山山頂(宝登山ロープウェイ宝登山頂駅から徒歩5分)には奥宮が鎮座しています。社伝では第12代景行天皇…
埼玉県の県名発祥の地、行田市埼玉(さきたま)にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)のビジターセンターが埼玉県立さきたま史跡の博物館。5世紀末〜7世紀初め頃までに築造された9基の大きな古墳が埼玉古墳群で、「さきたま風土記の…
830(天長7)年、円仁(慈覚大師)が無量寿寺(喜多院)を創建した際に、その鎮守として、860(貞観2)年に近江・坂本の山王権現(日吉山王社)を勧請して創建したという古社。天台宗・延暦寺の守護神として尊崇された山王権現を…
長崎鼻の突端に建つ、薩摩長崎鼻灯台。建造は、昭和32年で風光明媚な地にふさわしいフォルムにと特別に設計されたデザイン灯台です。海面上21mの灯火からは、13.5海里(25km)先の海上まで照らし、錦江湾に出入りする船や、…
830(天長7)年、慈覚大師・円仁(えんにん)により創建された古刹が喜多院(川越大師)。1296(永仁4)年、伏見天皇が尊海僧正に再興を命じ、慈恵大師(元三大師)を祀って関東天台の中心的な存在となりました。さらに1599…
指宿市にある火口湖、鰻池(うなぎいけ)の東岸にあるひなびた湯治場が区営鰻温泉。明治7年、征韓論に敗れて下野した西郷隆盛が1ヶ月ほど湯治していたこともある歴史ある温泉は、このエリアには珍しい硫黄泉。宝暦年間(1750年頃)…
和船でのんびりと長瀞を観賞するのが秩父鉄道が運航する長瀞ライン下り(荒川ライン下り)。親鼻橋から岩畳まで下るAコース(3km)と、岩畳から高砂橋の少し先までを下るBコース(3km)、通しで乗るCコース(6km)の3コース…
佐賀市街の北にそびえる標高501.7mの金立山に鎮座するのが金立神社上宮。金立山は、秦の始皇帝の命を受けた徐福が不老不死の薬求めて辿り着いた霊山との伝承があります。祭神は保食神(うけもちのかみ)、岡象売命(みずはめのみこ…
龍宮神社は、長崎鼻の高台に鎮座する神社で、浦島太郎伝説の地。龍宮城は海のかなたの琉球(沖縄)。周辺の海岸はウミガメの産卵地ということで浦島太郎伝説が生まれたと推測されます。祭神は『古事記』上巻、『山幸彦と海幸彦』に登場す…
桜島岳の4合目(標高373.8m)に位置し、南岳の噴火口に最も近い位置にある展望台が湯之平展望所。桜島では、立ち入ることができる最高所がこの湯之平展望所です。桜の花びらをイメージしたという展望施設が建っており、2階部分は…
神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓遠征(新羅遠征)に際して海路の安全を祈願し、凱旋時に捧げたと伝えられる宝鏡を発見し祀ったのが始まりと伝えられる古社が唐津神社。社殿の創建は1186(文治2)年。平安時代の唐津(松浦荘)は…
開聞岳を眺める山川の海岸に建つ温泉入浴施設がヘルシーランド露天風呂(たまて箱温泉)。某サイトの日帰り温泉部門で1位を獲得の絶景露天風呂が人気を集めています。隣接して「山川砂むし温泉」もあるので、絶景露天風呂と砂蒸し、さら…
行田市にある埼玉古墳群(さいたまこふんぐん)の一基で、前方後円墳の将軍山古墳の墳丘を利用して造られたガイダンス施設が将軍山古墳展示館。荒廃し崩落寸前だった墳丘部をドームで覆い、内部に1階に出土した埴輪(はにわ)や土層断面…
熊野市丸山地区にある棚田が丸山千枚田。白倉山(標高736m)の南西斜面、高低差100mの間に小さな棚田が1300枚以上もつくられ日本有数の規模を誇る棚田となっています。1601(慶長6)年の検地では丸山地区には、2200…
松山市浄瑠璃町にある真言宗醍醐派の古刹が八坂寺(四国八十八ヶ所霊場第47番札所)。修験道の祖・役小角(えんのおづぬ=役行者)により開かれ、701(大宝元)年、文武天皇の勅願により伊予の国司、越智玉興が創建したと伝わります…