上杉神社稽照殿
山形県米沢市、大正12年の再建時に建てられた上杉神社の宝物館が上杉神社稽照殿(うえすぎじんじゃけいしょうでん)。上杉謙信の「色々威腹巻」(国の重要文化財)、直江兼続(なおえかねつぐ)所用の「愛」の甲冑、上杉鷹山の遺品など…
山形県米沢市、大正12年の再建時に建てられた上杉神社の宝物館が上杉神社稽照殿(うえすぎじんじゃけいしょうでん)。上杉謙信の「色々威腹巻」(国の重要文化財)、直江兼続(なおえかねつぐ)所用の「愛」の甲冑、上杉鷹山の遺品など…
山形県西村山郡朝日町、平成2年建立の空気が御神体という神社。万物を生成する根源の五行「木・火・土・金・水」のモニュメントを通り抜けた、ブナの森におおわれた小高い頂に鎮座。5m四方のステンレス板を鏡に見立てて設置し、本殿は…
山形県鶴岡市にある庄内藩(荘内藩)14万石を治めた藩主・酒井家を祭神として祀る神社が荘内神社。明治政府の廃城令により取り壊された鶴ヶ岡城の本丸跡に建てられています。創建は明治10年、維新後、旧藩士が藩祖を祀る神社を建てる…
東京都新島村、新島の本村に鎮座する古社が十三社神社(じゅうさんしゃじんじゃ)。宮塚山の岩肌を背にして建つ十三社神社は、伊豆諸島で最大規模の境内、神域を誇り、新島の鎮守社になっています。近くには、新島村博物館、原町の井戸(…
東京都世田谷区にある浄土宗の寺、九品仏浄真寺(くほんぶつじょうしんじ)。正式名は九品山唯在念佛院浄真寺ですが、上品堂、中品堂、下品堂の3堂が並び、それぞれに3体ずつ阿弥陀如来像が納められているので、九品仏と呼ばれ、それが…
山形県天童市にある和銅元年(708年)、行基開山と伝える古刹が若松寺(じゃくしょうじ/若松観音)。貞観2年(860年)、山寺を建立した円仁(慈覚大師)が山頂の堂を現在の地に移し、 伽藍を整備したと伝えられていま…
山形県山形市、馬見ヶ崎川の右岸にある曹洞宗の古刹、護国寺(唐松観音)。平安時代創建と伝わり、京・清水寺に似せた山形県内唯一の懸崖造りの堂(舞台)からは、山形市街を眼下にします。本尊は、空海(弘法大師)自刻と伝わる聖観世音…
秋田県男鹿市、男鹿半島の西端の本山、鬼が積んだという伝承の999段の石段を上った先にあるのが赤神神社五社堂。山中に同じ形式の5棟の社殿が並び建つのが名の由来で、現存する建物は宝永6年(1709年)、秋田藩主・佐竹義格(さ…
秋田県横手市にある源義家(みなもとのよしいえ)ゆかりの古社が金澤八幡宮(かねざわはちまんぐう)。寛治7年(1093年)、後三年の役(ごさんねんのえき)で奥羽平定を果たした源義家が、藤原清衡(ふじわらのきよひら=奥州藤原氏…
秋田県男鹿市、男鹿半島南部の本山や東部の寒風山と同様に、古くから山岳信仰の霊場として栄えた地に建つ神社が真山神社(しんざんじんじゃ)。明治初年の神仏分離、廃仏毀釈や、修験道の廃止令で赤神山光飯寺が廃寺となり、真山神社に。…
秋田県男鹿市北浦、北浦漁港背後の高台に建つ曹洞宗の寺が雲昌寺(あじさい寺)。副住職・古仲宗雲(こなかしゅううん)さんが15年以上の歳月をかけて境内に1500株以上ものアジサイを植栽。例年6月中頃〜7月上旬に見頃を迎えます…
東京都台東区、アメヤ横丁(アメ横)にある日蓮宗の寺が摩利支天徳大寺(まりしてんとくだいじ)。開運摩利支天を祀ることから下谷摩利支天とも呼ばれ、日本三大摩利支天のひとつにも数えられる名刹です。関東大震災、戦災からも焼失を免…
京都府京都市東山区にある時宗遊行派の寺、長楽寺(ちょうらくじ)。延暦24年(805年)、桓武天皇(かんむてんのう)の勅命で、伝教大師が創建と伝えられ、「洛中随一絶景の霊地」として名高い名刹。天台宗・比叡山延暦寺の別院とし…
京都府京都市左京区大原にある天台宗の尼寺が寂光院(じゃっこういん)。聖徳太子が父・用明天皇の菩提のために開基と伝わる大原の古刹で、寺号は玉泉寺(本尊は地蔵菩薩)。平清盛の娘・建礼門院(平徳子=高倉天皇の皇后)が、平家滅亡…
京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山・建仁寺(けんにんじ)の塔頭(たっちゅう)、禅居庵(ぜんきょあん)。本尊は聖観音菩薩ですがが、秘仏の摩利支天(まりしてん=仏教の守護神)を祀り、日本三大摩利支天の寺として有名で…
石川県加賀市大聖寺にある大聖寺藩(だいしょうじはん=加賀藩の支藩)ゆかりの神社が江沼神社。宝永元年(1704年)、大聖寺藩3代藩主・前田利直(まえだとしなお=徳川綱吉の側近)の邸内に前田家の遠祖・菅原道真を祀る天満天神社…
石川県加賀市の山代温泉にある温泉守護の寺が、薬王院温泉寺。山代温泉は奈良時代、行基開湯という歴史を誇る古湯。行基が温泉守護のため、薬師如来などを彫り、堂宇を建てたのが温泉寺の創建で、平安時代の中期に明覚(みょうがく)が七…
石川県小松市古府町にある古社が石部神社(いそべじんじゃ)。律令時代に、国司が国内にある神社を巡拝する慣習を簡略化するため、国庁近くに建立した総社(国内の各社の祭神を合祀)、つまりは国庁の南に創建された加賀国の総社(当初の…