胆沢城
陸奥国胆沢郡胆沢(現・岩手県奥州市)に9世紀初頭に築かれた古代城柵、胆沢城。平安時代に編纂された歴史書『日本紀略』には、802(延暦21)年1月9日に坂上田村麻呂が派遣されて築城されたと記されています。789(延暦8)年…
陸奥国胆沢郡胆沢(現・岩手県奥州市)に9世紀初頭に築かれた古代城柵、胆沢城。平安時代に編纂された歴史書『日本紀略』には、802(延暦21)年1月9日に坂上田村麻呂が派遣されて築城されたと記されています。789(延暦8)年…
1175(承安5)年に法然上人が吉水に設けた草庵に始まる浄土宗の総本山が知恩院。正式名は、華頂山知恩教院大谷寺。法然は自身が説いた学問や修業のない念仏仏教が信仰されるも、宗教追害にあい流刑の後、この地で入滅しています。没…
1175年(承安5年)に法然上人が設けた草庵に始まる浄土宗の総本山が知恩院。法然の像を安置する大殿(だいでん)が、御影堂(みえいどう)で、1639年(寛永16年)、3代将軍徳川家光の再建で国宝。奥行35m、間口45mの大…
知恩院の三門は、1621(元和7)年、2代将軍・徳川秀忠が再建した巨大な門。高さ24m、幅50m、屋根瓦約7万枚という現存する木造建築として最大の楼門で、国宝。空・無相・無願という、悟りに通ずる三つの解脱(げだつ)の境地…
仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する堂が金堂。慶長年間造営の御所・内裏紫宸殿(ししんでん)を寛永年間(1624年〜1643年)に移築されたもので国宝。徳川家の御大工(おんだいく)といわれた江戸幕府大工棟梁・中井正清(な…
洲本城は三熊山の山頂にある模擬天守の建つ上の城が有名ですが、市街地にあるのが下の城。上の城と一体として築城された城ですが、現存する石垣と水堀は大坂夏の陣の後、淡路島が徳島藩・蜂須賀氏の所領となって以降、淡路支配の拠点とし…
洲本城は、洲本市街を北に見下ろす標高125mの三熊山の山頂に築かれた中世の城。室町時代の1526(大永6)年に三好氏の重臣・安宅治興によって築かれた東西800m、南北600mに及ぶ西日本最大規模の山城。秀吉の淡路攻めで落…
淡路島の北端、明石海峡に面した江崎に明治4年に建設された石造灯台が江埼灯台。設計は灯台の父と呼ばれるR.H.ブラントンで、1867(慶応3)年、徳川幕府と英国公使が兵庫開港に備えて結んだ大坂条約によって建設された5基(江…
関門海峡に面した小倉は九州、瀬戸内の入口に位置する交通の要衝。戦国時代の末に尾張国出身の毛利勝信(もうりかつのぶ=森勝信)が九州平定と肥後国人一揆鎮圧の功労で秀吉から豊前国小倉領を拝して築城したのが小倉城始まり。江戸時代…
かつての小倉城主、小笠原氏が茶の湯や能を楽しみ、客をもてなした下屋敷(したやしき)の跡を復元し、大名庭園と書院を再現した北九州市立の文化施設が小倉城庭園。「小笠原流礼法」の宗家でもある旗本・小笠原家も一族で、全国的にも珍…
レインボーブリッジの足元に広がる台場公園。お台場エリアにある東京都建設局が管理する公園ですが、公園内にある第三台場は、江戸時代に外国船を警備するために作られた海上砲台の跡でいわばお台場のルーツ。1854(安政元)年に竣工…
ペリーの浦賀来航に伴って、江川太郎左衛門が江戸湾周辺を調査し、幕府の予算不足から品川沖のみに突貫工事で建設が始まった台場群。1854(嘉永7)年4月には第一台場〜第三台場が完成しています。12月に第五台場・第六台場が完成…
室町幕府8代将軍・足利義政が、祖父・足利義満の北山殿(金閣寺)にならって1482(文明14)年に建てた山荘、東山殿が前身の名刹、慈照寺(銀閣寺)。義政の死後、遺言によって臨済宗相国寺派の寺院となったもの。1489(長亭3…
応神天皇、その皇子・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)、兄の仁徳天皇を祀る宇治の古社が宇治上神社。拝殿と本殿は国宝で、本殿は現存する神社建築としては日本最古のもの。境内に湧く「桐原水」は、現存唯一の「宇治七名水」…
京、方広寺に鋳造された鐘に刻まれた銘文(方広寺鐘銘事件)から発展した豊臣勢力に対する厳しい処置。その後、大坂夏の陣が起こり、大坂城の堀が埋め立てられ、ついに慶長20年5月8日(1615年6月4日)、大坂夏の陣で、豊臣秀頼…
「釈迦堂さん」の愛称で知られる京都市右京区嵯峨にある浄土宗の古刹、清凉寺。嵯峨天皇の皇子で光源氏のモデルとされる左大臣・源融(みなもとのとおる)の山荘・栖霞観(せいかかん)のあったところで源融の一周忌である896(寛平8…
皇居外苑地区の一角にあり、平成7年、皇太子殿下のご成婚を機に完成した公園が和田倉噴水公園。もとは昭和36年、今上天皇のご成婚を記念して作られた、和田倉噴水を再整備したもので、高さ5.5m、長さ30mの滝などが配されており…
長崎県対馬市にふたつある運河のうちのひとつ。ひとつは日露戦争の直前に帝国海軍が掘削した万関瀬戸、そしてもう1ヶ所が、江戸時代初めの1672(寛文12)年に開削された大船越瀬戸(おおふなこしせと)です。対馬の西岸と東岸を結…