滋賀県六大名城とは!?

滋賀県六大名城

京に近く、東海道・中山道・北陸道が合流する陸上交通、琵琶湖舟運の要衝でもあり、「近江を制する者は天下を制す」といわれた滋賀県。日本100名城選定の彦根城、安土城、小谷城(おだにじょう)、続日本100名城の観音寺城、八幡山城、鎌刃城(かまはじょう)が滋賀県六大名城といえる城です。

彦根城|日本100名城

所在地:滋賀県彦根市金亀町3-40
築城年:近世城郭=元和8年(1622年)頃
築城者:尾張藩や越前藩など7か国12大名(15大名とも)が手伝いを命じられ、縄張りをした早川弥惣左衛門(武田遺臣=武田流築城術)以下5名の普請奉行にした天下普請(てんかぶしん)
主な城主:井伊直政
史跡:国の特別史跡
文化財:天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、太鼓門櫓(たいこもんやぐら)や天秤櫓(てんびんやぐら)、佐和口多聞櫓、馬屋などは国の重要文化財
備考:世界遺産登録に向けて活動中(暫定リストに登録)
藩政時代の石垣と建物が残された彦根城は、映画『武士の一分』(主演・木村拓哉)、映画『大奥』(主演・仲間由紀恵)のロケ地にも

彦根城

彦根城

彦根城(滋賀県彦根市)は、姫路城などとともに国宝5天守の一つに数えられる名城で、約20年の歳月をかけて元和8年(1622年)頃に完成をみた彦根藩井伊家35万石の居城です。琵琶湖八景「月明・彦根の古城」に数えられるほど優美な姿を見せる天守は、

安土城|日本100名城

所在地:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
築城年:天正7年(1579年)
築城者:織田信長
主な城主:織田信長、清洲会議後は三法師(後の織田秀信)
史跡:国の特別史跡
遺構:石垣の一部、大手道石階段などのみ現存
備考:大手道の回りには羽柴秀吉、前田利家、徳川家康などの諸将の屋敷が並ぶ
天正10年(1582年)の本能寺の変直後に焼失するまでわずか3年間しか存在しなかった城で、まだまだ謎の多い城

安土城跡

安土城

織田信長が奇想天外な天守を築いた安土城は琵琶湖の東岸にそびえる安土山(現在の近江八幡市安土町)に築城されています。京上洛の要の地である近江の中心部に位置し、織田信長の掲げる「天下布武」を誇示するのに最適な場所が安土山でした。「日本100名城

小谷城(おだにじょう)|日本100名城

所在地:滋賀県長浜市湖北町伊部
築城年:永正13年(1516年)頃
築城者:京極氏の配下・浅井亮政
主な城主:浅井亮政、浅井久政、浅井長政
史跡:国の史跡
遺構:土塁、石垣、浅井長政自刃の地などが現存
備考:小谷山(おだにやま・標高495.1m)にあり、浅井(あざい)家が浅井亮政、浅井久政、浅井長政の3代にわたって居城とした中世の山城で、浅井長政と浅井三姉妹・お市の方(後に織田家重臣の柴田勝家の正室)との悲劇の舞台
日本五大山城(戦国五大山城)のひとつ

小谷城

滋賀県長浜市の小谷山(おだにやま・標高495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城とした中世の山城で国の史跡が小谷城(おだにじょう)。大永4年(1524年)頃に浅井亮政(あざいすけまさ)が自然の地形を巧みに利用して築城したと推

観音寺城|日本100名城

所在地:滋賀県近江八幡市安土町石寺
築城年:不詳、建武2年(1335年)以前
築城者:六角氏頼
主な城主:六角氏頼、六角高頼
史跡:国の史跡
遺構:曲輪、土塁、石垣、竪堀、食い違い虎口、堀切、井戸などが現存
備考:近江守護で湖東、湖南地方を支配した佐々木六角氏の居城で、中世の山城としては日本一の規模を誇った城
日本五大山城(戦国五大山城)のひとつ

観音寺城

観音寺城

近江守護で湖東、湖南地方を支配した佐々木六角氏の居城で国の史跡になっているのが近江八幡市安土町にある観音寺城。標高432.7mの繖山(きぬがきやま=観音寺山)全体を城域とし、要所に土塁・石塁をめぐらし、大小多くの郭を配して、中世山城としては

八幡山城|続日本100名城

所在地:滋賀県近江八幡市宮内町
築城年:天正13年(1585年)
築城者:豊臣秀吉の甥・豊臣秀次(築城時は羽柴秀次)
主な城主:羽柴秀次、京極高次
史跡:指定なし
遺構:曲輪、石垣、空堀、犬走りなどが現存、山麓には八幡堀が残されています
備考:琵琶湖を睨み、近江八幡市街の背後にそびえる標高271.8mの鶴翼山(八幡山)に築かれた山城
八幡城の城下町(現・近江八幡市街)は、天正10年6月2日(1582年6月21日)の本能寺の変で、主の織田信長を失った安土城下町から商人、職人らを呼び寄せ、形成
安土城の建つ安土山よりも急峻だったため、山上の本丸は防御的な役割で、山麓の居館が日常的な空間でした

八幡城

八幡山城

滋賀県近江八幡市、水郷風景が広がる近江八幡の町並みから見上げるようにそびえているのが標高271.8mの鶴翼山(八幡山)。豊臣秀吉の甥で、豊臣秀次が天正13年(1585年)に築いた八幡山城(近江八幡城)の城跡で、山麓から山頂まで八幡山ロープウ

鎌刃城(かまはじょう)|続日本100名城

所在地:滋賀県米原市番場
築城年:応仁の乱=応仁元年(1467年)〜文明9年(1477年)以前
築城者:土肥氏
主な城主:浅井長政
史跡:国の史跡
遺構:曲輪、堀切、石垣、枡形虎口などが現存
備考:応仁の乱以前に土肥氏が築城した湖北最大級の山城で、京極氏と六角氏の攻防、織田信長と浅井長政の攻防の舞台
標高384mで、山麓との比高は250mほどある天然の要害

鎌刃城

鎌刃城

滋賀県米原市にある中世の山城の跡が鎌刃城(かまはじょう)。応仁の乱以前に土肥氏が築城した湖北最大級の山城で、京極氏と六角氏の攻防、織田信長と浅井長政の攻防の舞台にもなっています。国の史跡に指定されるほか、続日本100名城に選定されています。

滋賀県六大名城とは!?
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