室町幕府を開いた足利尊氏のルーツが栃木県足利市。関東平野の北部に位置し、戦国時代には上杉謙信も侵入した下野国(しもつけのくに)ですが、日本100名城に選定されるのは足利市の足利氏館、続日本100名城が佐野市の唐沢山城で、この2城が栃木県二大名城といえるでしょう。
足利氏館|日本100名城
所在地:栃木県足利市家富町2220
築城年:建久7年(1196年)
築城者:足利義兼(あしかがよしかね=鎌倉幕府の有力御家人で、足利尊氏の6代前)
主な城主:足利義兼、足利義氏
史跡:国の史跡
文化財・遺構:入母屋造りの本堂は国宝、鐘楼、経堂は国の重要文化財、中世の足利氏の居館遺構としては、土塁と堀が現存
備考:足利氏2代目の足利義兼が居館に持仏堂を造ったのが鑁阿寺(ばんなじ)の始まりで、足利氏の氏寺(うじでら)として鑁阿寺が居館跡に建っています
唐沢山城|続日本100名城
所在地:栃木県佐野市富士町1409
築城年:延長5年(927年)、大改修=延徳3年(1491年)
築城者:藤原秀郷(ふじわらのひでさと=近江三上山の百足退治の伝説で有名) 、大改修=佐野盛綱
主な城主:佐野盛綱、佐野昌綱
史跡:国の史跡
遺構:石垣、大手枡形、土塁、縦堀、堀切などが現存
備考:関東七名城のひとつ
天慶2年(939年)の平将門の乱(たいらのまさかどのらん)を平定した拠点と伝えられますが、実際には佐野盛綱の築城というのが定説
山頂の本丸を中心に、西に二の丸、三の丸、帯曲輪が尾根沿いに続き、南に南城、東の尾根上に長門丸、杉曲輪、北城を配置
天正4年(1576年)、上杉謙信の大軍に攻められるものの、これを撃退し、「関東一の山城」ともいわれるまでに
栃木県二大名城とは!? | |
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