岐阜県瑞穂市、中山道69次のうち、江戸から数えて55番目の宿場が美江寺宿(みえじゅく)。宿場の名は養老3年(719年)創建の古刹、美江寺に由来しますが、寺自体は、本尊の十一面観音を含め戦国時代に斎藤道三(さいとうどうさん)が城下の鎮護のため稲葉山城下に移しています(岐阜市美江寺町に建つ美江寺)。
中山道・美濃十六宿のひとつ
美江寺宿は天正17年(1589年)、豊臣秀吉が問屋場(といやば)を設置したのに始まり、寛文9年(1669年)に美江寺宿本陣が設けられています。
長良川、揖斐川に挟まれた小さな宿場で、長良川には河渡の渡し(ごうどのわたし)、揖斐川の呂久の渡し(ろくのわたし)がありました。
文久元年10月26日(1861年11月28日)、皇女・和宮が14代将軍・徳川家茂(とくがわ いえもち)に嫁ぐため中山道を江戸に下った際、使ったのが呂久の渡しで、「落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ」と歌を残しています(10月26日は、赤坂宿を出立し、加納宿で宿泊)。
揖斐川は呂久集落の西を流れていましたが、大正14年の河川改修のため(川の流れを直線化、呂久の渡しが廃止)、現在では呂久集落は対岸になっています。
たびたび河川氾濫の被害を受け、明治24年の濃尾大地震により、宿場内の多くの家が倒壊。
現在残される連子格子の家並みは明治時代以降のものですが、国道も走らない小さな町に古き宿場の雰囲気が残されています。
集落の中心、かつての美江寺跡に鎮座する美江寺神社あたりがもっとも雰囲気を残す場所。
美江寺神社はかつて美江寺の鎮守社だった社です。
歌川広重が『木曽海道六十九次』に描いた「みゑじ」の場所は、美江寺宿南端から京へ100mほどの場所。
横を流れるのは犀川だと推測できます。
美江寺宿 | |
名称 | 美江寺宿/みえじしゅく |
所在地 | 岐阜県瑞穂市美江寺 |
関連HP | 瑞穂市公式ホームページ |
電車・バスで | 樽見鉄道美江寺駅から徒歩10分 |
ドライブで | 名神高速道路大垣ICから約14km |
問い合わせ | 瑞穂市商工農政観光課 TEL:058-327-2103 |
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