忠節橋

忠節橋

岐阜県岐阜市の長良川に架かる国道157号(重複国道・国道303号)の美しい鋼製アーチ橋が、忠節橋(ちゅうせつばし)。初代(明治17年架橋)、2代目(明治31年架橋)は木造の有料橋で、3代目(明治45年)が、木鉄混合橋。現存する橋は昭和23年の架橋で、土木学会選奨土木遺産に選定されています。

かつては橋の上を「丸窓電車」が走行していた

忠節橋

全長266.06m、幅員17.60で、鉄道併用橋(名古屋鉄道岐阜市内線が通過)。
名鉄の30トン電車2両連結で通過しても耐えうる構造で、中央に花崗岩張りの軌道部分4.98mがとられ、その両横に3.64mの車道、2.67mの歩道という配置になっていました。

完成した昭和23年は終戦直後で、建設資材の鋼材を集めるのも大変な時代で、昭和14年1月に着工しながら、戦時下で中断したのも資材不足から。
昭和19年7月に工事は再開されますが、昭和20年7月9日の岐阜空襲で橋梁用木材の大部分が焼失し、再び架橋を断念。
戦後、北海道・旭川の旭橋(当時は鉄道道路併用橋)などのデザインを参考に、昭和22年11月工事を再開(施工は横河橋梁製作所)、突貫工事で完成しています。
この忠節橋が、戦後最初の長大鋼橋ということに。

長良川の右岸と左岸には名古屋鉄道の揖斐線(いびせん)の忠節駅(大正3年3月29日、 岐北軽便鉄道北方線の駅として開業)、岐阜市内線の忠節橋駅(大正14年12月11日、美濃電気軌道市内線の駅として開業)があり、岐阜市内線の延伸という形で、揖斐線と結んで昭和29年、揖斐線と岐阜市内線の直通運転を開始。
岐阜駅北口駅前広場に静態保存される丸窓電車モ513は、昭和42年、揖斐・谷汲線から岐阜市内線へ乗り入れる直通急行用車輌として、制御装置の更新、座席の転換クロスシート化などの改造を受けて投入されたもの。

つまり、現在の4車線のうち、中央の2車線は、平成17年3月31日に廃止となった名古屋鉄道岐阜市内線の廃線跡です(平成18年に軌道撤去)。

ちなみに初代の橋ができる前は、忠節の渡しという長良川の渡船場で、その名が代々の橋名にも活かされてきました。

忠節橋
忠節橋
名称 忠節橋/ちゅうせつばし
所在地 岐阜県岐阜市早田
ドライブで 東海北陸自動車道岐阜各務原ICから約11km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
丸窓電車モ513(岐阜駅北口駅前広場)

丸窓電車モ513(岐阜駅北口駅前広場)

岐阜県岐阜市橋本町1丁目、JR岐阜駅北口広場に置かれているのが、丸窓電車モ513。大正15年にモ510形として5両製造されたうちの1両で、名鉄600V線区が全廃された平成17年まで車籍があり、「丸窓電車」としてイベントなどで引っ張りだこだっ

 

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