関ヶ原古戦場・福島正則陣跡

関ヶ原古戦場・福島正則陣跡

岐阜県不破郡関ケ原町、東山道(近世の中山道)不破関の東、春日神社が、関ヶ原古戦場・福島正則陣跡。福島正則は、おね(北政所)と頂点とする尾張・武断派と、茶々(淀殿)を頂点とする近江・文治派との対立の際には、石田三成襲撃事件をも起こした武断派で、関ヶ原合戦も徳川家康に与しています。

東軍先鋒を務めた福島正則の陣跡

関ヶ原古戦場・福島正則陣跡

福島正則は尾張国海東郡二ツ寺村(現・愛知県あま市二ツ寺屋敷)の出身。
母は秀吉の叔母、つまりは秀吉とは従兄弟(いとこ)という間柄で、秀吉の小姓として仕え、天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いにおいて、一番槍・一番首として敵将・拝郷家嘉を討ち取るという大功を立て、賤ヶ岳の七本槍のひとり。
関ヶ原合戦でも東軍の先陣として活躍していますが、賤ヶ岳の戦いの大活躍で有名なため、少し見落とされがちな傾向にあります。

徳川家康は、豊臣秀吉恩顧の武将たちを味方にするため、尾張・武断派に対しては、この戦いは徳川対豊臣ではなく、徳川対石田で、秀吉の遺志を継ぐ尾張・武断派と石田三成との戦いであると説得します。

有名な小山評定(栃木県小山市で行なわれた軍議)では、その言葉を信じ、率先して家康支持を打ち出し、武断派の流れを決めています。

関ヶ原の合戦では東軍の先鋒として前線に近い春日神社に陣を構えますが、松平忠吉(徳川家康の四男)・井伊直政(事実上の総大将で自身こそが先鋒役と考えていました)隊に抜け駆けされ、宇喜多秀家軍1万7000と戦闘に突入、一時退却を余儀なくされますが、なんとか敵軍の進軍を食い止めています。

福島正則が陣を構えた春日神社境内には樹齢800年の「月見の宮大杉」が聳えていますが、『関ケ原合戦図屏風』にも描かれていて、正則も見上げ、勝利を祈った神木ということに。

関ヶ原合戦後の慶長13年(1608年)、豊臣秀頼が病を患うと、福島正則は大坂城へ見舞に駆けつけるなど、豊臣方とも交流しますが、大坂の陣で正則の思いに反して豊臣家は滅亡。
自身も家康の命で、名古屋城などの天下普請(てんかぶしん)に参加しますが、広島城の改築を咎められて安芸・備後50万石は没収、高井野藩(現・長野県高山村)4万5000石に減転封され、没落しています。

「岐阜関ケ原古戦場記念館」では、福島正則コースとして、JR関ヶ原駅近くの松平忠吉・井伊直政陣跡、藤堂高虎・京極高知陣跡、福島正則陣跡、宇喜多秀家陣跡、開戦地、石田三成陣跡(笹尾山)、徳川家康最後の陣跡を巡る7km、2時間弱の周回コースを設定しています(車の場合は「岐阜関ケ原古戦場記念館」が起点)。

関ヶ原古戦場・福島正則陣跡
名称 関ヶ原古戦場・福島正則陣跡/せきがはらこせんじょう・ふくしままさのりじんあと
所在地 岐阜県不破郡関ケ原町松尾111
関連HP 関ケ原観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR関ヶ原駅から徒歩18分
ドライブで 名神高速道路関ヶ原ICから約1.5km
駐車場 6台/無料
問い合わせ 関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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