関ヶ原古戦場・田中吉政陣跡

関ヶ原古戦場・田中吉政陣跡

岐阜県不破郡関ケ原町、徳川家康最後の陣跡近くにあるのが、関ヶ原古戦場・田中吉政陣跡。『関原合戦図志』でも、合戦時の田中吉政隊のはっきりとした布陣地はわかっておらず、石田隊に向かって兵を進めた場所ということで「田中吉政陣跡」とされています。

北西の笹尾山に陣取る石田三成を攻撃

近江(現・滋賀県)出身の田中吉政は、羽柴秀次(後の豊臣秀次)の宿老となり、秀次に近江八幡43万石が与えられた際にはその筆頭家老を務め、城下町建設にも尽力しています。
豊臣秀次が自害させられた際にも田中吉政にはお咎めがなく、むしろよく諌めたということで、家康誕生の三河国・岡崎城主10万石の大名にまで出世します(東海道を城下町に引き込むなど、岡崎の近世的な町割も行なっています)。

秀吉の死後は徳川家康に接近、関ヶ原合戦の前哨戦では、黒田長政、藤堂高虎とともに岐阜城に向かう西軍を足止めしています。

関ヶ原合戦では黒田長政隊とともに石田三成勢と激突(石田隊の右翼・蒲生郷舎と戦ったという説も)、さらに石田三成の本拠地・佐和山城攻略、そして伊吹山中で逃亡中の石田三成を捕縛するという大きな手柄も立てています(石田三成とは親交があったため厚遇したと伝えられ、三成も「自分を捕らえたのが吉政でよかった」とかたったとか)。

一連の武功で、筑後一国柳川城32万石の国持大名にまで出世。
子の田中忠政が嗣子がないまま36歳で没したため、柳河藩田中家は無嗣断絶に。

「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原散策ルートのうち、田中吉政陣跡は「石田三成コース」に入り、「岐阜関ケ原古戦場記念館」を起点に、田中吉政陣跡、徳川家康最後の陣跡、島津義弘陣跡、大谷吉継墓、大谷吉継陣跡、石田三成陣跡、決戦地、黒田長政・竹中重門陣跡、細川忠興陣跡を巡り記念館に戻るコースとなっています。

関ヶ原古戦場・田中吉政陣跡
名称 関ヶ原古戦場・田中吉政陣跡/せきがはらこせんじょう・たなかよしまさじんあと
所在地 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原959-2
関連HP 関ケ原観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR関ヶ原駅から徒歩8分
ドライブで 名神高速道路関ヶ原ICから約1.5km
駐車場 岐阜関ケ原古戦場記念館駐車場(30台/無料)
問い合わせ 関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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