群馬県高崎市街の中心部・高松町にあり、土塁や堀、復元された乾櫓(いぬいやぐら)と東門などが、往時をしのばせているのが高崎城址。前身は室町時代に和田義信が築いた和田城(和田さんのルーツにも)ですが、廃城になり荒廃。現在の高崎城址は、井伊直政築城の城で、藩政時代に高崎藩の藩庁だった地。
往時を偲ぶ乾櫓、東門が移築復元
後の慶長3年(1598年)、当時の箕輪城主・井伊直政(徳川家康の重臣で、徳川四天王のひとり)が、中山道と三国街道の分岐点の守りの拠点とするため、烏川東岸の河岸段丘の上に、囲郭式構造の高崎城を築城。
本丸には御三階櫓(天守)、乾(いぬい=北西)櫓、艮(うしとら=北東)櫓、巽(たつみ=南東)櫓、坤(ひつじさる=南西)櫓がありましたが、その後陸軍直轄となり、明治6年に東京鎮台高崎分営第九大隊を設置し、本丸、二の丸は取り壊しとなり、現存するのはかつての本丸の乾櫓(県重文指定/三の丸模擬石垣上に移築復元)のみとなっています。
本丸門など16の門のうち現存するのは東門(城内に出入りする武士や商人などを通行させた通用門/高崎市重要文化財/乾櫓近くに移築復元)だけ。
3代将軍・徳川家光の命で徳川忠長(とくがわただなが/徳川秀忠の三男、乱暴狼藉を働いた罪で安藤重長に預けられていました)が自刃したという書院は市内の長松寺(高崎市赤坂町30)に移築され庫裏(くり)に転用されています。
周辺は高崎城址公園として整備され、春には外堀を桜が埋め尽くします。
高崎城址 | |
名称 | 高崎城址/たかさきじょうし |
所在地 | 群馬県高崎市高松町 |
関連HP | 高崎市公式ホームページ |
電車・バスで | JR高崎駅から徒歩10分 |
ドライブで | 関越自動車道高崎ICから約6.7km |
駐車場 | 高崎城址地下駐車場(186台/有料) |
問い合わせ | 高崎市観光課 TEL:027-321-1257 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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