昭和15年に発表された高峰三枝子の『湖畔の宿』(作詞・佐藤惣之助、作曲・服部良一)は、発売当時、戦時下であったために発売禁止的な扱いとなっていましたが、歌い継がれた戦後、「山の淋しい湖に」の歌い出しで一世を風靡。平成元年、榛名湖の西岸に、整備された榛名「湖畔の宿」記念公園には、歌碑や乙女の像が建てられています。
昭和の名曲『湖畔の宿』もモデルは「湖畔亭」
昭和63年、作詞家の佐藤惣之助(さとうそうのすけ)の手紙(昭和17年、榛名湖の「湖畔亭」で働くお気に入りの仲居さんに宛てた手紙)が発見され、50年近くたってからようやくモデルとなっている湖が榛名湖で、南西岸にある旅館「湖畔亭」が「湖畔の宿」もモデルということが判明(高峰三枝子は芦ノ湖をイメージしていたとか)。
当時の榛名湖はまだ人里離れた湖で、湖畔には一軒宿の「湖畔亭」があるのみだったとか。
「『湖畔の宿』は榛名湖のことではあるが、あの中のことは全く夢だよ。ああいう人もあるだろうとおもったので書いたもの。宿は湖畔亭にしておこう・・・」(仲居さんに宛てた手紙)。
榛名「湖畔の宿」記念公園の歌碑の前に立つと『湖畔の宿』のメロディーが流れる仕組みで、「山の寂しい湖」と歌われた榛名湖を眺望することができます。
佐藤惣之助は、先妻を亡くした直後の昭和8年、現在の前橋市出身の萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)の妹、 愛子さんと再婚。
萩原家の実家が前橋ということで、榛名湖にはよく来ていたというわけなのです。
佐藤惣之助は作詞家であると同時に、詩人で、作曲家・古賀政男と組んで多くの楽曲を世に送り出していました。
湖畔の宿 歌詞
1. 山の淋しい湖に
ひとり来たのも悲しい心
胸の痛みに耐えかねて
昨日の夢と焚き捨てる
古い手紙のうすけむり
2. 水にたそがれせまる頃
岸の林を静かに行けば
雲は流れてむらさきの
薄きすみれにほろほろと
いつか涙の陽が落ちる
(台詞)
「ああ、あの山の姿も湖水の水も、
静かに静かに黄昏れて行く……。
この静けさ、この寂しさを抱きしめて
私は一人旅を行く。
誰も恨まず、皆昨日の夢とあきらめて、
幼な児のような清らかな心を持ちたい。
そして、そして、
静かにこの美しい自然を眺めていると、
ただほろほろと涙がこぼれてくる」
3. ランプ引き寄せふるさとへ
書いてまた消す湖畔の便り
旅の心のつれづれに
ひとり占うトランプの
青い女王(クイーン)の淋しさよ
| 榛名「湖畔の宿」記念公園 | |
| 名称 | 榛名「湖畔の宿」記念公園/はるな「こはんのやど」きねんこうえん |
| 所在地 | 群馬県高崎市榛名湖町 |
| 関連HP | 高崎市観光協会公式ホームページ |
| 電車・バスで | JR高崎駅から群馬バス榛名湖畔行きで1時間25分、終点下車、徒歩10分 |
| ドライブで | 関越自動車道渋川伊香保ICから約23km |
| 駐車場 | 湖畔の宿記念公園駐車場(80台/無料) |
| 問い合わせ | 榛名観光協会 TEL:027-374-5111 |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 | |
























