群馬県草津町、草津温泉を流れる湯川の上流、小石がころがる灰色の河原に、湧出した温泉が湯の川となり、独特の荒れ果てた光景を造り出しているのが、西の河原公園。毎分1070リットルの湯量を誇る源泉地で、岩肌のそこかしこで、白煙を上げて温泉が湧き出す様子が見学できます。
源泉地帯は公園化され、ライトアップも
西の河原源泉は、源泉温度44.9度、pH2.1。
高温の温泉が多い草津では温度は低めなので、遊歩道で火傷などの危険はあまりありません。
昭和45年に硫黄鉱山の坑道から噴出した万代鉱源泉(毎分6200リットル/源泉温度95度=プレート式熱交換機で55度に下げて西の河原露天風呂、御座之湯、大滝乃湯や宿泊施設に給湯)と合わせて、草津一の湧出量を誇っています。
湯の川に沿って遊歩道も整備されており、園内には温泉と火山の知識が得られる草津ビジターセンターがあるほか、斎藤茂吉などの碑も立っています(湯畑からは徒歩15分)。
湯量豊富な源泉を利用した、開放感たっぷりの大露天風呂もありますが、利用する源泉は万代鉱源泉です。
西の河原源泉を引湯する宿は案外少なく、「草津温泉ホテル櫻井」(万代鉱・西の河原・わたの湯の3源泉を楽しめます)、旅館「望雲」(万代鉱・西の河原が引湯されています)などごく一部に限られています。
草津に宿泊する際には、使用する源泉がどこなのかにも注目を(ホームページでのチェックをおすすめします)。
日没~22:00の間、ライトアップも実施。
夜間のライトアップは、六本木ヒルズなどのライティングを手がけた照明デザイナーの面出薫氏が設計(湯畑周辺と同じです)。
西の河原は、本来は「賽の河原」だった!
草津には、薬師堂を行基が創建、白根明神の別当寺(神社を管理する寺)として正治2年(1200年)に草津領主・湯本氏が再建と伝えられる草津山光泉寺が建っています。
鎌倉時代には白根の地頭職として一帯を領有していました。
白根明神は、白根山を神格化して祀った火山鎮護の神社で、上野国神名帳では「吾妻郡十二座従一位白根明神」とあり、吾妻郡では最高位の神社でした。
その白根明神は、別当・光泉寺(真言密教)と神仏習合し、火山を鎮護し、温泉を畏怖して、白根山全体を霊山としていたのです。
草津温泉街の西にある源泉、西の河原は、往時にはもちろん賽の河原(地蔵湯畑もそう呼ばれていました)で、土地の古老は「以前は多くの地蔵尊が置かれていた」と話しています。
賽の河原は、親に先立ってこの世を去った子供達が積み石の卒塔婆(そとうば=仏塔)を積み上げ、親不孝の報いを受ける場であるとされ、「一重組んでは父のため、二重組んでは母のため、三重組んではふるさとの、兄弟我身と回向して・・・」(地蔵菩薩の威徳を表現した「賽の河原地蔵和讃」・御詠歌)と歌いながら石を積み上げますが、卒塔婆が完成に近づくと地獄の鬼がやってきて壊してしまうのです。
地蔵菩薩を信仰した者だけが鬼から助けられ成仏するという信仰で、地蔵尊が祀られたのです(死んだ子を地蔵に託すことで悲しみを軽減)。
江戸時代になると、子どもを守護してくれる仏として信じられるようになり、賽の河原には多くの地蔵尊が建立されたのです。
観光客が石を積むケースもありますが、本来は、目印などに使うケルンではなく、卒塔婆なのです。
昭和45年に万代鉱源泉が湧出して、西の河原の湯量はその分だけ減少したといわれており、以前にはもっと多くの湯が川のように流れていたと推測できます。
万代鉱の出現以後,活動をやめていた西の河原の代表的な源泉「鬼の茶釜」(往時には茶釜が沸騰するような音を立てて湯を噴出していました)は、近年、再湧出しています。
西の河原公園 | |
名称 | 西の河原公園/さいのかわらこうえん |
所在地 | 群馬県吾妻郡草津町草津 |
関連HP | 草津観光公社公式ホームページ |
電車・バスで | JR長野原草津口駅からJRバス草津温泉・白根火山行きで25分、草津温泉下車、徒歩10分 |
ドライブで | 関越自動車道渋川伊香保ICから約56km |
駐車場 | 天狗山第1駐車場(150台/無料) |
問い合わせ | 草津温泉観光協会 TEL:0279-88-0800 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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