赤岩渡船

永禄年間(1558〜1569年)には、長尾景虎(上杉謙信)が船橋を架けて軍が渡河したと伝わる利根川の赤岩渡船。利根川に現存する唯一の県道(主要地方道)扱いの渡船になっています。定員23名の動力船「千代田丸」、定員20名の「新千代田丸」が就航。群馬県千代田町が管理運営し、年間2万人以上の利用者があるのだとか。

江戸時代の交通の要衝に残る渡し船

室町時代の1457(長禄元)年に、太田道灌は、葛和田(埼玉県側の渡船場)から、草加などを経て江戸湾に達していた流路を利根川の幹川と定めました。

江戸時代になると、利根川の舟運が江戸と上州を結ぶ物資交流を行なう大動脈となり、船が離着する河岸(かし)が、陸路と川が接合した要地に発達。
上州(群馬)側の赤岩は宿場町としても栄え、かつ中山道や足利方面への往還道として、水陸交通の要衝として発展します。

赤岩渡船(赤岩の渡し)は、大正15年には群馬県営となり、昭和24年からは千代田町が管理運営しています。
千代田町赤岩と熊谷市妻沼を結ぶ県道熊谷・館林線の道路渡船(県道の扱い)として、生活の足として、あるいは観光用として無料で利用可能となっています。

もともと赤岩の渡船場は水深もあり、江戸からの大型船の上流側終点ということから坂東十六渡津に数えられるほど繁栄したのです。
千代田町内でも赤岩のほか舞木河岸、上五箇河岸、上中森河岸、下中森河岸などの渡船場がありましたが、今では廃止されています。

船は千代田町が運航管理し、通常群馬県側に係留

船は通常群馬県側にあり、群馬県側から乗船する場合には、小屋にいる船頭さんに声をかければOK(随時出航)。
埼玉県熊谷市の妻沼(葛和田)側から乗船する場合は、バス停脇にある黄色の旗をあげて合図をすると、対岸から船が迎えに来るというシステム。

ちなみに埼玉県側では、赤岩の渡しではなく、熊谷側の地名から葛和田の渡し(葛和田渡船)と呼ばれています。
館林駅と熊谷駅間を渡船を挟んでバスが運行。
群馬側の館林駅〜赤岩は、つゝじ観光バス(館林・千代田線=日中は館林駅西口と赤岩渡船を終起点に運行、朝夕は館林駅東口発着)、館林観光バス(館林・明和・千代田線=館林駅西口・館林駅前から明和町役場、東武伊勢崎線・川俣駅を経由し赤岩へ)。
埼玉側の熊谷駅(熊谷駅北口3番乗り場)〜葛和田は、国際十王交通が運行。

ちなみに現存する利根川の渡船は、茨城県取手市の小堀の渡し(おおほりのわたし/取手市営)、群馬県伊勢崎市の島村渡船(伊勢崎市営)の3ヶ所のみとなっています。

赤岩渡船
名称赤岩渡船/あかいわとせん
所在地群馬県邑楽郡千代田町赤岩
関連HP千代田町ホームページ
電車・バスで東武伊勢崎線川俣駅からタクシーで20分、JR高崎線熊谷駅からタクシー40分。または、JR高崎線熊谷駅から国際バス葛和田行きで終点下車(埼玉県側)、東武伊勢崎線館林駅から広域路線バス(平日1日14便運行)利用で赤岩渡船
ドライブで東北自動車道館林ICから約15km
駐車場100台/無料
問い合わせ千代田町建設環境課 TEL:0276-86-2111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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