世良田東照宮

1639(寛永16)年、天海大僧正が3代将軍・徳川家光に要請し、世良田の長楽寺境内に日光東照宮奥社(元和年間に造営の多宝塔、唐門、拝殿)を移築して創建したのが世良田東照宮。本殿はその際に新築され、徳川家康(東照大権現)を祀っています。実は、家康はこの上野国新田荘世良田を「徳川発祥の地」としていました。

家康が「徳川氏のルーツ」とした世良田に建つ

群馬随一というソメイヨシノが咲く境内
日光東照宮奥社から移築の拝殿

1644(寛永21)年、徳川家光は、世良田東照宮に200石を寄進、以降、徳川将軍家により保護され繁栄します。

世良田の地に東照宮を勧請したのは、当地が清和源氏系統の新田義重(にったよししげ=源義重が上野国新田荘を本拠としたため新田姓に改名)の館跡であり、徳川家康がその新田氏の系列である世良田氏の末裔と称したために(実際は世良田氏と同族の得川氏の末裔として、松平から徳川に改姓)、先祖発祥の地(「徳川発祥の地」)として保護したため。

確かに長楽寺は1221(承久3)年、世良田義季(得川義季)が創建。
つまり得川氏の発祥の地ではあるものの、徳川家康(三河国加茂郡松平郷=現・豊田市松平町がルーツ)がその氏の出であるかどうか真偽のほどは明らかではありません。

ただし家康はこの地をルーツとし、1603(慶長8)年には寺領を寄進、天海を住持に任命して長楽寺の復興を果たしています。

本殿、拝殿、唐門、大鉄灯籠は国の重要文化財

創建時に建立された本殿
伝・左甚五郎作「巣籠もりの鷹」

世良田東照宮別当(世良田東照宮を管理する寺)だった長楽寺も現存するほか、境内には拝殿、唐門、本殿、大鉄灯籠など国の重要文化財が多数あり、左甚五郎の作と伝わる彫刻「巣籠もりの鷹」も実に見事。

日光東照宮は、1636(寛永13)年、徳川家光に命により全面的に改築され現在の姿になりました。
その改築の際に元和造営の奥宮の拝殿と多宝塔などを移築して創建したのが世良田東照宮です。
残念ながら多宝塔は明治初年の廃仏毀釈で廃棄され、現存していませんが、重要文化財の建築物は、日光東照宮創建時の建物群というわけなのです。

現在の世良田東照宮の社殿を設計・施工を担当したのは徳川家康から信任されていた中井正清ということに。

遷座(せんざ)したのは1644(寛永21)年10月11日で、江戸時代には社殿の修理は幕府直轄で行なわれていました(江戸時代には、10回の大修理と5回の小修理が行なわれています)。

江戸時代、拝殿内に入ることができたのは1万石以上の大名のみ。
庶民は、4月17日(徳川家康の命日)と正月のみ境内に入ることが許されるという高い格式を誇っていました。
例大祭は今も4月17日で、一般も参加できる『葵まつり』は4月第1日曜に斎行されています。

日光東照宮は有名ですが、この世良田東照宮は、その絢爛豪華な建築の割には、知られざる東照宮になっています。

太田市内の他の社寺、館跡とともに「新田荘遺跡」として国の史跡に指定。

世良田東照宮
名称 世良田東照宮/せらだとうしょうぐう
所在地 群馬県太田市世良田町3119-1
関連HP 世良田東照宮ホームページ
電車・バスで 東武伊勢崎線世良田駅から徒歩20分、または、JR深谷駅からタクシーで20分
ドライブで 北関東自動車道伊勢崎ICから約12km、または関越自動車道花園ICから約19km
駐車場 歴史公園駐車場(80台/無料)
問い合わせ 世良田東照宮 TEL:0276-52-2045
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材・画像協力/ググっと群馬観光宣伝推進協議会

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