金山城

太田市のシンボルである金山(標高235.8m)に築かれた戦国時代の城が、金山城(かなやまじょう)。97.8haが国の史跡となる大規模な山城で、日本100名城に選定。本丸跡とされている山上に新田神社が鎮座しています。中世の山城ながら、石垣や石敷きが多用されていることが最大の特長です。

「日本100名城」選定の城は新田一族の岩松家純が築城

金山城本丸跡に鎮座する新田神社
本丸跡に残される往時の石垣
金山城本丸跡(実城)に明治期に創建した新田神社

築城は文明元年(1469年)、新田一族の岩松家純(いわまついえずみ)。
永禄6年(1563年)に武田信玄、翌永禄7年(1564年)上杉謙信がの攻撃を退けるなど、難攻不落を誇り、関東七名城(忍城、川越城、前橋城、唐沢山城、宇都宮城、多気城または太田城、金山城)にも数えられています。

1590(天正18)年、豊臣秀吉の小田原征伐の際に忍城などとともに落城し、廃城に。

金山山頂の実城(みじょう)を中心に、四方に延びる尾根上に曲輪を配し、これを濠と土塁で守った山城です。
本丸跡とされている山上に新田神社が鎮座し、二の丸、三の丸、馬場曲輪、北城、西城などが残されています。

物見台下虎口と馬場下通路
上部から見た物見台下虎口

「日本100名城」選定の城は、新田一族の岩松家純が築城

大手虎口にある月ノ池
大手虎口
発掘調査で、戦国時代の関東の山城に本格的な石垣はないとされた城郭史の定説が覆るほどの石垣や石敷きが発見されています。
主な曲輪は実城、西城、北城(坂中・北曲輪)、八王子山の砦の4ヵ所で、山麓にも、城主や家臣団の館・屋敷があったと推測され、往時には根小屋(城下町)があっただろうことが判明しています。

敵兵はその威圧感に圧倒されたであろう馬場下通路。
敵を惑わす迷路のようになっています。
石敷きされた通路の幅が急に狭くなるのも敵兵の侵入を防ぐための工夫です。
南上段曲輪には火薬庫かと推測される建物も復元されています。

大手虎口の石垣や土塁は、発掘調査結果をもとに往時の大手虎口の姿を復元したもの。

金山観光道路の入口には史跡金山城跡ガイダンス施設があり、金山城を詳しく解説。
日本100名城のスタンプは、山頂近くの南曲輪休憩施設内(中島記念公園)に置かれています。

車は西城の西城筋違城門の駐車場(県道金山城址線終点)まで進入可能。
史跡金山城跡ガイダンス施設から実城までは、ハイキング道(西山コース)経由で徒歩30分。
西城筋違城門の駐車場から実城までは、徒歩15分です。

敵の侵入を阻んだ西矢倉台下堀切
井戸跡などが残される虎口南上段曲輪
金山城
名称 金山城/かなやまじょう
所在地 群馬県太田市金山町40-16ほか
関連HP 太田市公式ホームページ
電車・バスで 東武伊勢崎線太田駅からタクシーで7分
ドライブで 北関東自動車道太田桐生ICから約3.5km
駐車場 モータープール、大光院駐車場(120台/無料)、金龍寺南駐車場(30台/無料)、金龍寺東駐車場(20台/無料)、東山公園親水広場入口駐車場(20台/無料)など
問い合わせ 史跡金山城跡ガイダンス施設・太田市金山地域交流センター
TEL:0276-25-1067/FAX:0276-25-2399
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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