群馬県渋川市、金井遺跡群のひとつで、「甲を着た古墳人」が出土した金井東裏遺跡の南400mほどに位置する古墳時代の集落遺跡が、金井下新田遺跡(かないしもしんでんいせき)。6世紀初頭の榛名山噴火による堆積物の下から、5世紀後半の鍛冶遺構、土器集積遺構、囲い状遺構などが発見されています。
「首飾りをした古墳人」が竪穴建物から出土!
平成26年4月〜平成29年3月に行なわれた国道353号金井バイパス(上信自動車道)の道路改築に伴う発掘調査で、古墳時代の地域首長の政治・祭祀拠点と推測される囲い状遺構が見つかっています。
囲い状遺構は、一辺55mの方形で、内部を遮蔽するように高さ3m前後の網代垣で囲まれ、1.8m間隔に立てられた角柱に、植物の茎をよしず状に編んだものを両側から網代で挟んで取り付けた構造になっていました。
遺構の残存状況からいて、火山噴火以前に廃絶し、解体途中だったのではないかと推測されています。
複数の祭祀遺構からは、特殊な土器などのほか多量の臼玉や石製模造品、さらに子持勾玉と呼ぶ特異な勾玉が出土しています。
また、金井下新田遺跡では、勾玉を含む「首飾りをした古墳人」が集落域(竪穴建物)で発見され、話題に(墓域以外で首飾りをした状態で人骨が見つかるのは極めて稀)。
「首飾りをした古墳人」は 、10代の若者が、6世紀初頭に発生した榛名山の噴火に伴う火砕流によって吹き飛ばされ、竪穴建物が廃絶した後の凹みに落ちたものと推定され、頭骨は確認できませんが、人骨の首付近から勾玉を含む首飾りが発見されています。
平地建物の鍛冶遺構には、炉や金床石が残されていますが、ここで製造された鉄製品はまだ発見されていません。
さらに集落内からは、平成28年に成長期にある若い馬2頭の頭骨と四肢骨の一部が発見され(木曽馬に近い中形馬が、火砕流中に四肢を伸した状態で埋まっていました)、遺跡地周辺で馬の繁殖、飼育が行なわれていたことが確実視されるようになっています(渋川市内の白井遺跡群からは、軽石層の下から6世紀中頃の馬の足跡が多数出土しています)。
渋川市によれば、榛名山噴火関連遺跡は25ヶ所もあるとのことですが、「首飾りをした古墳人」が発掘された金井下新田遺跡、「甲を着た古墳人」出土の金井東裏遺跡はまさに「日本のポンペイ」といえる筆頭です。
金井下新田遺跡 | |
名称 | 金井下新田遺跡/かないしもしんでん |
所在地 | 群馬県渋川市金井1644 |
ドライブで | 関越自動車道渋川伊香保ICから約5.5km |
問い合わせ | 渋川市文化財保護課 TEL:0279-52-2102/FAX:0279-52-4008 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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