五色塚古墳

五色塚古墳

明石海峡に臨む神戸市垂水区にある巨大な前方後円墳が五色塚古墳。墳丘長194m、前方部の高さ11.5m、後円部の高さ18mで兵庫県下最大の前方後円墳で、周囲に幅10mの堀を巡らせています。4世紀末〜5世紀初頭にかけて築造されたもので、明石の国造(くにのみやつこ)の墳墓であるという説もありますが定かでありません。

明石海峡に臨む兵庫県下最大の前方後円墳

五色塚古墳
五色塚古墳空撮Photo Map(左が北)

古墳の名の由来は、葺石(ふきいし)を淡路島の五色浜付近から運んだから、太陽の光によって葺かれた石が五色に輝くから、あるいは古墳の形態が炊飯用の甑(こしき)に似ていることからともいわれています。
『日本書紀』に淡路島から石を運んだとの記述があり、五色浜(淡路島西部)が由来というのがもっとも有力な説になっています。

神戸市が昭和40年から2億5200万円をかけ、10年がかりで建設当時の状態に復元。
これが、古墳としては日本で最初の復元整備となっています。

表面に223万個の葺石を敷き詰め、墳頂部には高さ1mほどの円筒埴輪2200個が並んでいました。
千壺古墳という名もありますが、この壺が千個並ぶということが名の由来です。

前方部には山陽電鉄本線・JR神戸線が敷設されており、周辺の宅地化が進んでいるので、周濠などは失われています。

被葬者などは今も謎に包まれている

築造された場所は対岸に淡路島を望む、明石海峡のもっとも狭まった部分。
すぐ近くには明石海峡大橋も架かっています。
古墳は、一般的に被葬者が支配した平野を俯瞰(ふかん)、あるいは平野から見上げるような位置に築造されますが、五色塚古墳の場合は、明石海峡を一望にするという立地です。
古代には摂津国から播磨国へと通じる山陽道が要衝の地でもあり、海上交通と陸上交通を掌握する地になっています。

墳形は、三重県伊賀市の御墓山古墳(みはかやまこふん/188m)、大阪府岸和田市の摩湯山古墳(まゆやまこふん/200m)とともに、奈良市の佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん/4世紀末頃、207m)、滋賀県大津市の茶臼山古墳(122m)と相似形の佐紀陵山型古墳(上空から見ると鍵穴形)で、ヤマト王権と密接な結び付き、そしてヤマト王権的な支配が周辺域にも広がっていたことがわかります。

西隣に直径67mの小壺古墳とともに国の史跡になっています。
また、出土品(円筒埴輪群)は、国の重要文化財に指定。

一帯は公園として整備され、墳頂に立つことも可能。
墳頂からの見晴らしも抜群で、まるで明石海峡の展望台のようです。

なお、舞子浜公園には円筒埴輪・朝顔形埴輪・盾形埴輪などを棺にした埴輪棺が、砂浜に点在していることから(舞子浜遺跡)、王墓(五色塚古墳)と支配された民の関係とも推測できます。

五色塚古墳
名称五色塚古墳/ごしきづかこふん
Goshikizuka Kofun(Goshikizuka Mounded Tomb)
所在地兵庫県神戸市垂水区五色山4-1-12
関連HP五色塚古墳公式ホームページ
電車・バスでJR、山陽電鉄垂水駅から徒歩10分
ドライブで第2神明道路高丸ICから約2.7km
駐車場30台/無料
問い合わせ五色塚古墳管理事務所 TEL:078-707-3131
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

空撮画像提供/神戸国際観光コンベンション協会

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