武庫大橋

武庫大橋

兵庫県尼崎市と西宮市の間を流れる武庫川(むこがわ)に架る国道2号(山陽道)の橋が武庫大橋(むこおおはし)。国道2号の工事に合わせ、大正15年12月に架橋されたコンクリートの6連アーチ橋で、架橋時には日本最大級(6連)。土木学会の土木遺産にもなっています。昭和50年までは路面電車の阪神国道線も通っていました。

阪神間モダニズムを背景に築かれた美しい橋

武庫大橋

明治時代後期、大阪、神戸の人口増、土地不足を背景に、郊外住宅地の開発を念頭に計画された橋でもあり(阪神エリアの中産階級も郊外に住宅を求めるようになりました=阪神間モダニズム)、大正15年に国道2号が開通。
武庫川から分岐する枝川と申川を廃川として、河川跡を埋め立てて販売、その利益を工事費に充てています。
この廃川埋立地に阪神電鉄が築いたのが阪神甲子園球場で、さらに阪神電鉄は帝国ホテル元支配人・林愛作を招いて武庫大橋の南詰(現・武庫川女子大学上甲子園キャンパス「甲子園会館」)に「甲子園ホテル」(フランク・ロイド・ライトの愛弟子・遠藤新の設計)を開業しています。

武庫大橋(橋長262.5m、幅員20m)の設計は、アメリカで15年、設計を学び、福島市の信夫橋(しのぶばし/昭和7年・洪水で落橋し橋桁は架替え)、隅田川の白鬚橋(しらひげばし/昭和6年)、淀川の十三大橋(じゅうそうおおはし/昭和7年)、吉野川の吉野川橋(昭和3年)、愛媛県大洲市・肱川河口の長浜大橋(昭和10年/国の重要文化財、経済産業省「近代化産業遺産」)なども手掛けた増田淳(ますだじゅん)。
阪神間モダニズムを背景に、美観を強く意識し、高欄や歩道のバルコニーなども細部まで丁寧にデザインされています。
戦時中の金属供出で、高欄の鉄格子と青銅製の電灯柱が撤去されていましたが、平成5年に、往時の姿に復元。

武庫大橋
武庫大橋
名称 武庫大橋/むこおおはし
所在地 兵庫県西宮市〜尼崎市
ドライブで 名神高速道路尼崎ICから約5km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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