広島県呉市豊町御手洗、西廻り航路の風待ち湊として発展した大崎下島の御手洗(みたらい)。湊町で最大の遊郭だった遺構が、若胡子屋跡(わかえびすやあと)。当時の千石船(弁財船)は、一枚帆のため、風待ち、潮待ちの必要があり、船乗りたちが逗留の際に、足繁く通ったのが遊郭です。
日本で現存する最古の遊郭建築
物資が集まるところに、人も集い、やがて物資の中継地としてだけでなく、花街としてもその名をとどろかせたのが、御手洗。
18世紀半ばには、広島藩公認の4軒の茶屋(遊郭)が御手洗に置かれていますが、当時最大の規模を誇ったのが、日本で現存する最古の遊郭建築でもある「若胡子屋」。
周防・上関(現・山口県上関町)出身で、享保9年(1724年)、広島藩から茶屋株の免許を受け、御手洗で最初に開業したのが「若胡子屋」。
訴訟判決を早とちりした当主の切腹自殺、お歯黒が上手に付けることができないことからお付きの禿(かむろ=遊女の使用人の少女)の口に煮立った鉄漿(かね=歯を黒く染める鉄の溶液)を流し込んで殺害したという残忍な「おはぐろ伝説」も残されています。
往時は50人、一説には100人もの遊女を抱えていたと伝えられますが、建物は明治17年には隆法寺に転用されて柱や天井が取り払われ、後に町の集会所として再生され、内部はがらんとした雰囲気で当時の面影はありません。
耐震補強工事が施され、遊女に関する資料を展示。
2階の壁には「おはぐろ伝説」にまつわる殺された禿の手形、遊客の落書きが残されているほか、庭には、遊女「八重紫の墓」も現存。
また若胡子屋は御手洗をオランダ人商人らとの密貿易の拠点としていた薩摩藩との関係も深く、別棟の奥座敷にある屋久杉でできた天井板、建物の裏手の桜島の溶岩が埋め込まれた築地塀などがその歴史を今に伝えています。
呉市豊町御手洗伝統的建造物群保存地区(くれしゆたかまちみたらいでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)、住吉神社、恵美須神社、千砂子波止と高灯籠とともに日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の構成資産になっています。
若胡子屋跡 | |
名称 | 若胡子屋跡/わかえびすやあと |
所在地 | 広島県呉市豊町御手洗 |
関連HP | 呉市公式ホームページ |
電車・バスで | JR呉駅、または広駅からとびしまライナー豊・豊浜方面行きバスで、御手洗港(みたらいこう)下車 |
ドライブで | 広島呉道路呉ICから約40km |
駐車場 | 御手洗駐車場(16台/無料)、御手洗かもの駐車場(40台/無料)、または、周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 御手洗休憩所 TEL:0823-67-2278 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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