福島県喜多方市の郊外にある三津谷(みつや)の三津谷集落の煉瓦蔵群(若菜家)。4棟の煉瓦蔵(れんがぐら)を所有するのが若菜家で、アーチ型の窓や入口などがデザイン的にユニーク。本来は鉱山のトンネル、鉄道の橋脚用に焼かれた煉瓦ですが、それを住宅や蔵などに転用したもので、美しさの秘密は、独特の釉薬煉瓦にあります。
喜多方における煉瓦文化の幕開けは三津谷から
明治23年、新潟県亀田(現・新潟県新潟市江南区)出身の安田瓦職人・樋口市郎(ひぐちいちろう)は、良質の赤土と燃料の赤松が揃った三津谷地区を見出し、「登り窯」(現存しています)を築き、凍害対策として灰汁を釉薬に使用した瓦の生産を開始します。
加納鉱山(明治38年再開)の坑道、岩越鉄道(明治32年に郡山駅~若松駅が開通、現在の磐越西線)のトンネルや鉄橋の橋脚部分にレンガが必要なことから、「樋口煉瓦工場」を創業。
瓦で培った技術を煉瓦に転用し、オリジナルの釉薬煉瓦(ゆうやくれんが)を焼成しています。
若菜家のアーチ型の窓などはアーチ式橋脚にどことなく似ています。
レンガを、土木工事ではなく、建物にも使うことを推奨したのは明治14年に岩月村(現・喜多方市岩月町)に生まれた田中又一(たなかまたいち)。
12歳で煉瓦師(レンガ職人)に憧れ、東京へ出て清水組(現・清水建設)のお抱え煉瓦師のもとでレンガ積みを学び(当時、東京はレンガ建築の建設ラッシュで、最先端で一流の技術が習得)、明治33年、喜多方に帰郷、明治35年、故郷の喜多方で木造骨組の外側にレンガ(樋口煉瓦工場で焼成)を積んだ岩月尋常小学校を建築しています。
これが喜多方のレンガ造建物の主流となる煉瓦が木部とかみ合う「喜多方式木骨煉瓦造」の始まり。
三津谷にある旧若菜家蔵座敷、作業蔵、味噌蔵は、田中又一の設計、樋口煉瓦工場で焼成したレンガを使用しています(磐越西線の慶徳トンネルは田中又一設計で、今も現役)。
若菜家煉瓦蔵は、「喜多方市の赤煉瓦製造関連遺産と建造物」の一部として、経済産業省の近代化産業遺産(「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産などの歩みを物語る近代化産業遺産群」)にも登録。
三津谷レンガ建築はなぜ美しい!?
樋口市郎が生み出した喜多方煉瓦は、表面に釉薬(うわぐすり)をかけて焼成した釉薬煉瓦(ゆうやくれんが)。
冬の寒さが厳しい会津の凍害を防止する目的で、釉薬をかけたもので、薪を燃料とした登り窯で焼かれるために、酸化や還元、窯の温度、施釉の濃淡、窯の冷える速度などの違いで出来上がりの色が微妙に変化し、それが喜多方独特の風合いを生み出しているのです。
農作業蔵(明治43年)、4万2500個もの煉瓦を使った三階蔵(大正5年建造)、蔵座敷(喜多方式木骨煉瓦造り、大正6年建造)、味噌蔵(大正10年建造)の4棟が現存していますが、それぞれ細かいデザインが違うという設計者・田中又一のこだわりにも注目を。
三津谷集落の煉瓦蔵群(若菜家) | |
名称 | 三津谷集落の煉瓦蔵群(若菜家)/みつやしゅうらくのれんがぐらぐん(わかなけ) |
所在地 | 福島県喜多方市岩月町宮津勝耕作3819 |
関連HP | 喜多方観光物産協会公式ホームページ |
ドライブで | 磐越自動車道会津若松ICから約19.3km。または、会津坂下ICから約23.3km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 喜多方観光物産協会 TEL:0241-24-5200/FAX:0241-24-5284 |
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