福島県大沼郡会津美里町にある中世の山城が向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)。会津盆地の南端の丘陵上に位置し、16世紀中頃に戦国大名の蘆名盛氏(あしなもりうじ=鎌倉時代の三浦氏の一族)によって築城された城。国の史跡に指定されるほか、続日本100名城にも選定されています。
上杉景勝・直江兼続主従の戦国時代最後の山城
向羽黒山城は、会津盆地のシンボル的な存在である白鳳三山(観音山・羽黒山・岩崎山)の丘陵を生かした天然の要害。
本丸は向羽黒山(岩崎山/408.6m)の山頂に築かれた、蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏によって16世紀末まで拡張整備が行なわれた会津地方最大規模、東北でも屈指の規模を誇る山城です。
北に6kmで鶴ヶ城という領国経営の軍事拠点として機能し、大堀切、枡形虎口、土塁などの遺構が現存しています。
NHK大河ドラマ『天地人』の主人公、直江兼続(なおえかねつぐ)は、会津に入国すると2年間かけて向羽黒山城を大改修し、徳川家康への守りを固め、上杉景勝と直江兼続は、向羽黒山城を家康に抗戦するの最後の砦と考えていたという説もあります。
関ヶ原の戦いでの西軍に付いた上杉景勝軍の敗戦、米沢藩30万石へ減封に伴い(大大名から出羽半国・陸奥2郡の国持ち大名に縮小)、慶長6年(1601年)、廃城に。
向羽黒山(岩崎山/408.6m)の山頂部に築かれた一曲輪、その北側山腹の二曲輪、蘆名盛氏が茶の湯を嗜んだという御茶屋場曲輪、水手曲輪、弁天曲輪、土塁と堀に囲まれた北曲輪、九十九折のみかえり坂、羽黒山の羽黒山曲輪、城への出入口とされた虎口(大手口)などの遺構が現存。
現在、城郭一帯は白鳳山公園として整備され、本郷地区のインフォメーションセンター(本郷地区のインフォメーションセンター)から山上の二曲輪周辺まで車道が通じています。
二曲輪広場、御茶屋場曲輪からは、磐梯山や飯豊山、会津若松市街を一望に、要衝だったことがよくわかります。
戦国時代の後期、末期ともなると、中世的な防御重視の山城から、行政的に便利な近世的な平城や平山城に移行しますが、向羽黒山城は徳川家康への防御ということもあって、山城としての機能を充実させているのが大きな特徴です。
往時の縄張りが残される貴重な山城で、発掘調査も続けられています。
向羽黒山城 | |
名称 | 向羽黒山城/むかいはぐろやまじょう |
所在地 | 福島県大沼郡会津美里町三日町・上町・三日町上・瀬戸町・船場・蛭ヶ窪 |
関連HP | 会津美里町観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 磐越自動車道会津若松ICから約13.8km |
駐車場 | 二の丸入口の駐車場を利用 |
問い合わせ | 会津美里町観光協会 TEL:0242-56-4882/FAX:0242-56-4876 |
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