上越国境、群馬県利根郡みなかみ町の大水上山(おおみなかみやま/標高1834m、群馬県の北限)を源流に、茨城県(神栖市)と千葉県(銚子市)の県境で太平洋(鹿島灘)に流れ出る長大な河川が利根川(とねがわ)。幹川流路延長は322kmで、日本で2番目に長大な川で、関東平野を潤す流域面積は1万6840平方キロで日本一となっています。
利根川水源が判明したのは昭和29年!
坂東太郎(ばんどうたろう)とも呼ばれる利根川。
古くからいわれる名数的には、坂東太郎(利根川)、筑紫次郎(筑後川)、四国三郎(吉野川)が日本三大河(日本三大暴れ川)です。
流路延長、流域面積のトップスリーということで、信濃川(長野県・新潟県)、石狩川(北海道)とともに日本三大河川にも数えられています。
江戸時代以前の、利根川は、現在の古利根川・中川・隅田川の流路を通って東京湾に注いでいました。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命による徳川家康の江戸入府後、江戸の洪水防止、銚子からの舟運の充実などを目的に、利根川を付け替えるという利根川東遷事業(とねがわとうせんじぎょう)が行なわれました。
これにより、利根川本流は銚子を通って太平洋に注ぐことになったのです。
利根川の源流については長らく論争の対象でした。
明治27年に群馬県職員ら17名による水源調査の第1回探検隊が結成されましたが、険しい峡谷に行く手を阻まれ、水源に到達できずに撤退(所持したものは、米1石餅3斗、草鞋200足、馬桐油3枚、鰹節数十本、釜、鍋、味噌、醤油、食塩等、護身用として刀1、ピストル4、猟銃2)。
大正15年の第2回探検隊は大水上山まで到達したものの、本流と支流を見誤って、到達できていません。
ようやく水源に到達できたのは、意外に最近で、昭和29年のこと。
水源を守らねばという使命感に燃えた群馬県山岳連盟の「奥利根水源調査登山隊」(小林二三雄隊長以下30名)により、大水上山北東、標高1800m付近の三角雪渓末端であることが判明したのです。
矢木沢ダム(やぎさわダム)のダム湖、奥利根湖は最上流のダム湖ということに。
藤原ダム(藤原湖)も利根川本流に築かれた多目的ダムで、利根川水系8ダムのひとつ。
利根川の河口は、千葉県銚子市、茨城県神栖市の境界で、銚子漁港(千葉県)、波崎新港(茨城県)があります。
江戸時代、海難事故の多い房総半島・犬吠崎沖を避け、銚子から利根川の水運を利用する交易ルートが確立されました。
銚子に醤油産業が発展したのも、利根川の舟運で江戸と結ばれたから。
舟運で活用されたのと同時に、利根川には多くの渡し船がありましたが、現在でも小堀の渡し(おおほりのわたし/茨城県取手市)、赤岩渡船(埼玉県熊谷市葛和田〜群馬県邑楽郡千代田町赤岩)、島村渡船(群馬県伊勢崎市境島村)と3ヶ所の渡船が現存しています。
利根川源流(大水上山)
利根川河口(銚子漁港)
利根川 | |
名称 | 利根川/とねがわ |
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