井上さんは、全国に60万人前後暮らしていて(国民の0.48%)、17位の大姓です。かつて、井戸というものは重要な生活拠点で、これを管理する職業の人が「井氏」。さらに、井戸の上手の場所に住む井上地区、井戸の下手の井下地区という地名から、それぞれの苗字が生まれたのです。
井上さんには有名人が多い
井上さんの苗字は「いのうえ」と井と上の間にわざわざ「の」を付けて呼ぶのでしょう?
井川さんも井原さん、そして井村さんも「の」が入らないのに奇妙な感じがしないでもありません。
最初の答えであるなぜ「の」が入るのかは、井上(いのうえ)から仮に「の」を取ってしまうと、「いうえ」になって、「あいうえお」と同じようになってしまうためと推測できます。
井上さん、おわかり頂けたでしょうか?
井上さんには有名人も多く、しかも本名を通したり、本名に戻して活躍など、有名になるパワーをもつ姓なのかも知れなません。
有名な作家の井上靖は、北海道旭川の生まれですが、ルーツは静岡県の天城湯ヶ島(あまぎゆがしま)。
井上陽水も本名で(読みは「いのうえあきみ」)、福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋地区)出身。女優の井上真央は横浜市、声優の井上和彦も横浜、タレントの井上順は東京の渋谷、お笑いコンビNON STYLE(ノンスタイル)の井上裕介は大阪市、次長課長の井上聡(いのうえさとし)は岡山市と東西に分かれています。
ちなみに井上さんは、井戸の上側という地形姓(地名姓)だけに世の中にはちゃんと井戸の下の地区出身の井下さんもいますが、全国に5000人ほどしかいません。
井戸の下に住んだ一族より、井戸の上の一族の末裔の方が数が多い理由は不明です。
井上さんのルーツは信州須坂に
各地の井上という地名から井上さんが生まれていますが、井上姓のルーツといえそうな有力な候補地が信濃国高井郡井上(長野県須坂市井上=長野自動車道須坂長野東IC周辺)から起こった清和源氏頼季流(せいわげんじよりすえりゅう)の井上氏がいます。
平安時代後期、房総で起きた平忠常の乱(たいらのただつねのらん)を平定した源頼信(みなもとの よりのぶ=河内源氏の祖)は、三男・源頼季(みなもとのよりすえ)を信濃国井上に配します。
この子孫が井上氏を称して、いわゆる信濃源氏として勢力を伸ばしていったのです。
「源平の戦い」で知られる治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん=平家の滅亡までの一連の戦乱)では北信濃の源氏方として平家方と戦いを繰り広げ、やがて、その子孫は信濃から甲斐・武蔵・越後・上総・遠江・播磨・安芸にと勢力を拡げているのです。
長野県須坂市井上に残る井上城跡(竹ノ城跡)は大切なパワースポット。
井上城は、中世に築城され井上氏の居城となりましたが、戦国時代に武田氏と反目して上杉方となり、慶長3年(1598年)、上杉景勝の会津移封で廃城となり、井上一族も上杉氏の臣下として会津に移っています。
井上城跡は大洞山から尾根筋の末端に築かれた山城。
北麓にある井上氏居館は、前面に大城・小城を、東方に竹ノ城を馬蹄形に配する扇の要の位置にあり、一丁四方の方形で周囲に水堀を巡らしていました。
山麓の井上山無量寿院浄運寺(長野県でいちばん古い浄土宗の寺)から城跡への登山道が通じていますが、その土塁と曲輪、壕跡がわずかに残り井上氏の栄華を今に伝えています。
須坂市大字井上字土栗2916(井上の土栗集落/つちくり)には鎌倉時代〜室町時代の五輪塔や宝篋印塔が集められた井上氏墳墓も現存。
以前は周辺に広がっていたものを明治維新前後にこの場所に集めたもので、墳墓は井上氏の誰なのかは不明です。
頼季流の井上氏は後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒を目論んだ承久の乱で、上皇方に味方し西国に移った者も数多く、播磨・丹波・備前・美作に広がっています。
長州五傑で明治の元勲・井上馨も頼季流の井上氏
各地に広がった清和源氏頼季流の井上氏のうち、とくに播磨国(兵庫県)と安芸国(広島県)に住みついた一族は有名です。
播磨国の井上氏は戦国時代に池田氏に従い、のちに外記流(げきりゅう)と呼ばれた井上流砲術を開いています。
井上外記正継(いのうえげきまさつぐ)が元和年間(1615年~1624年)に創始したので、外記流です。
他方、南北朝時代に安芸国に移った井上氏は武勇の誉も高く、やがて毛利家の紋の着用を許されるほどの重臣となり以後、一族大いに広まったと伝えられ、その子孫に明治の元勲・井上馨(いのうえかおる)も。
鹿鳴館を築いて不平等条約の改正に尽力したあの井上馨です(ピンとこない人は高校の教科書の再読を)。
井上馨の先祖は毛利元就(もうりもとなりの)の宿老・井上就在(いのうえなりあり)。
毛利家家臣の安芸井上家の出となる井上馨は、周防国湯田村(現・山口県山口市湯田温泉)の出身。
毛利氏初期からの重臣、井上氏(本家)の代々の居城、天神山城(広島県安芸高田市吉田町竹原/長尾神社(八幡宮)が登城口)は安芸井上氏のルーツとなっています。
ほかに、三河井上氏の浜松藩主・井上氏、日出藩(ひじはん)家老の井上氏、また、平家の落武者の子孫という日向の井上氏は井ノ城を構えていたといいます。
有名な井上城は、愛知県岩倉市井上町に井上城。
徳島県吉野川市山川町井上に阿波の井上城、宮崎県延岡市古城町に日向の井上城。
いずれも城主は井上さんではないので、念のため。
神社としては大阪府和泉市には泉井上神社があり、奈良市井上町に井上神社があります。
奈良の井上神社の祭神は井上内親王。
白壁王(光仁天皇)の妃でしたが、光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、大和国宇智郡(現在の奈良県五條市)に幽閉され、薨去。
まあ、韓国の歴史ドラマを彷彿させるドロドロとした宮中の権力闘争ですが、どうやら最後は暗殺されています。
井上さんは圧倒的に西日本に多い
井上さんは圧倒的に西日本に広く分布し、西日本に限っていえば大姓4位(0.69%)。とくに兵庫県(0.83%)、福岡県(1.05%)では大姓の3位、京都府は4位(0.82%)、大阪、奈良、高知では6位にランクイン。
関西の人が、井上さんは17位と聞けば、かなり意外な感じがするかと思います(関西では、田中さん、山本さん、中村さん、井上さんの順)。
東北で佐々木さんが4位を占めているのと似ています(全国ランクは13位)。
井上陽水が福岡出身だったり、お笑いコンビ・NON STYLEの井上裕介が大阪生まれなのはそんな背景もあるわけなのです。
井上氏の代表家紋は関連の強い井戸に関係する井桁、井桁に木瓜、井筒など。
違い鷹の羽、雁金、九曜、五七桐、撫子、三つ巴、大名家は八つ鷹の羽車(井上鷹の羽車)も使っています。
取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です
開催日時 | 11位〜16位と相互リンクをお願いします |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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