石川県河北郡内灘町、河北潟の畔、内灘町総合公園に隣接して建つのが、内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」。4つに分かれた展示室では、内灘闘争など、内灘町の戦前戦後の資料と、凧に関する資料、「粟ヶ崎遊園」などに関する紹介などが行なわれています。
「北陸の宝塚」を目指した粟ヶ崎遊園の歴史も紹介
「粟ヶ崎遊園」は、大正14年7月19日、「北陸の材木王」・平沢嘉太郎(ひらさわかたろう)によって内灘村に創設された大遊園地。
大正13年に浅野川電気鉄道(現・北陸鉄道浅野川線)を開業させた平沢嘉太郎は、翌年、個人事業として粟崎海水浴場、「粟ヶ崎遊園」を開設しています。
粟崎海水浴場に隣接して、遊園地、「北陸の宝塚」を目指した1000人収容の大劇場、大浴場、動物園、こどもの国、宿泊施設、食堂、野球場、スキー場まで備えたレジャーランドで、昭和3年には、新国劇の俳優・川上一郎を座長に「粟ヶ崎大衆座」を旗揚げ、さらに宝塚少女歌劇を倣って少女歌劇を編成し大劇場での公園の目玉にしています。
残念ながら軍靴の足音とともに、軍事色が強い出し物に変化し、ついに昭和16年8月31日には軍部に接収され、建物が解体されて軍需工場に改変され、再開することなく閉園しています。
粟ヶ崎遊園本館ゲートのみ、「風と砂の館」横に移設され、現存。
内灘闘争は、内灘村で戦後(昭和24年〜昭和32年)、朝鮮戦争の勃発を機に起きたアメリカ軍の試射場(砲弾の性能を検査するための試射場)に対する反対運動で、静岡県の御前崎周辺と、この内灘砂丘が候補となり、最終的に内灘砂丘が設置場所に選定、村議会は反対決議を手始めに、反戦を訴える全共闘まで参加する猛烈な反対運動が起きたのです。
五木寛之の小説『内灘夫人』は、その内灘闘争がモチーフになった小説。
反対運動の結果、試射場は撤収され、騒ぎも収束。
着弾地観測棟の建物が権現森海岸に残されています。
日本各地の凧や世界の凧に関する展示も行なわれていますが、内灘砂丘で例年5月に『世界の凧の祭典』が開かれ、スポーツカイトのフライヤーが世界各国から集まるため、今や凧は内灘砂丘(内灘海水浴場)の新文化となっているのです。
内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」 | |
名称 | 内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」/うちなだちょうれきしいんぞくしりょうかん「かぜとすなのやかた」 |
所在地 | 石川県河北郡内灘町宮坂に455 |
関連HP | 内灘町公式ホームページ |
電車・バスで | 北陸鉄道浅野川線内灘駅からタクシーで8分 |
ドライブで | 北陸自動車道金沢東ICから約10km |
駐車場 | 90台/無料(ほのぼの湯と共用) |
問い合わせ | 内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」 TEL:076-286-1189/FAX:076-286-1189 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag