長い間、日本国内には氷河地形はあっても「氷河はない」というのが定説でした。この通説を科学的に覆したのが立山カルデラ砂防博物館の研究チームで、現在では日本国内、北アルプス北部の立山連峰、後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)に合計7つの氷河があることが立証されています。
日本アルプスの氷河地形ですら戦前には大論争があった
北アルプス北部の立山連峰(富山県立山町)には、雄山に国の天然記念物に指定される山崎カールがあり、黒部立山アルペンルート最高所の室堂から立山を眺めた際に、正面に眺望することができます。
昭和17年、氷河地形の研究者で地理学者の山崎直方(やまさきなおまさ)の名をとって命名されたカールです。
山崎直方は、日本アルプスの白馬岳、白馬大雪渓上部の岩に氷河の痕跡を発見、明治35年に論文『氷河果たして本邦に存在せざりしか』を発表し、立山にも圏谷(カール)を発見しています。
明治44年頃から日本の地学会では日本にも氷河があったとする説と、なかったという人との間で激しい氷河論争が展開されました(その後、日本アルプスや北海道に氷河地形があることが認識されるようになったのです)。
明治13年、お雇い外国人のジョン・ミルンは、日本アジア協会の講演で『日本における氷期の証拠』として月山、立山、針ノ木峠の大規模な万年雪に関して「氷河といっていい状態」としていますが、その後、氷河に関する論争などは起きていません。
そもそも氷河は、万年雪が圧雪されて誕生するものですが、流動することが氷河を定義する一番の決め手で、白馬大雪渓などは万年雪ながら、「流動しない」ことで、残念ながら山岳氷河(谷氷河)とはいえず、これまでは、極東でカムチャッカ半島より南には、氷河が現存していないというのが定説でした。
内蔵助氷河は登山道、山小屋があって到達可能
立山の万年雪が氷河でないのか?という疑問は、かなり昔からありました。
昭和38年、立山連峰の内蔵助雪渓と剣沢・はまぐり雪雪渓の万年雪に分厚い氷の塊をもつ万年雪があることが発見され、「ひょっとして氷河ではないか?」とされたのですが、科学的な測量技術が確立しておらず、「ひょっとして」という推測の域を出ることがありませんでした。
現在、立山カルデラ砂防博物館に務める飯田肇さんは、昭和55年、内蔵助雪渓の調査を始めます。
雪渓の構造自体は解明できましたが、移動しているのかどうかは不明でした。
こうした研究を支えたのが、GPSの普及です。
飯田さん率いる研究チームは、GPSを使って立山の主峰・雄山東面の御前沢雪渓(ごぜんざわせっけい)、剱岳東面の三ノ窓雪渓、小窓雪渓の万年雪の調査を平成21年に開始。
その結果、氷河の前提となる万年雪が「動いていること」(3雪渓で1ヶ月間に氷塊が10cm~30cm移動)を確認、平成24年4月に日本雪氷学会に学術論文を投稿して正式に氷河と認められたのです。
世界的に見れば「最も温暖な地域に存在する氷河」ということに。
世界の常識を覆した立山の氷河は、世界唯一の「温暖氷河」、さすがは、立山です!
さらに平成30年1月に立山の内蔵助雪渓、剣岳の池ノ谷雪渓、鹿島槍ヶ岳(後立山連峰)のカクネ里雪渓が氷河と認定。
平成31年10月に唐松岳(後立山連峰)の唐松沢雪渓が氷河であることが認められ、国内の氷河は7ヶ所になったのです。
立山連峰には、氷河、氷河地形、そして氷河期の生き残りとされる雷鳥も「生息密度が日本で一番高い」ことで知られています。
内蔵助雪渓を除いて氷河に近づくことは山岳ガイド同行でないと無理ですが、立山三山を縦走し、御前沢雪渓、内蔵助雪渓を稜線から見下ろすことは可能です。
室堂ターミナルから内蔵助山荘(完全予約制)を目指し(雄山経由で徒歩4時間ほど)、内蔵助雪渓に到達することは夏山シーズンの登山経験者なら可能で、雪渓(氷河)を歩き、氷河が削り運んだモレーンに触れることができます。
氷河には、解けた水の作用で「ムーラン」と呼ばれる深い縦穴が開くことがあるので、注意が必要。
日本にはなんと7ヶ所も氷河がある! | |
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