丸亀城本丸

亀山と呼ばれる山の最高所に築かれているのが丸亀城本丸。最下層の四ノ段から、三の丸(三ノ段)、二の丸(ニノ段)と攻略して、ようやくたどりつくのが本丸です。本丸には天守のほかに隅櫓(すみやぐら)、多聞(たもん=渡櫓)や土塀が巡らされ、最大の防備を備えていました。

往時には天守のほかに四隅に櫓が建っていた!

本丸の天守台には天守が現存
本丸の櫓台。往時には櫓が建っていました

かつて本丸には東南隅櫓、南西隅櫓、北西隅櫓、東北隅櫓と四隅に隅櫓がそびえていました。
天守は北側(大手側)の中央に配され、本丸入口は鉤型に桝形が築かれて高麗門が置かれていました。
桝形を出たところが二の丸です。

本丸には1660(万治3)年に完成した三層三階の天守が現存するほか、発掘調査で確認された石垣や雨落ち排水路が一部復元されています。

天守を目の前にしても「意外に小さい」と感じるかもしれません。
日本各地に現存する12の天守の中では、もっとも小さい天守が丸亀城の天守で、御三階と呼ぶほうがピッタリくるかもしれません。

かつて本丸の隅を守った櫓の土台
天守から櫓台を眼下に
丸亀城本丸
名称丸亀城本丸/まるがめじょうほんまる
所在地香川県丸亀市一番丁
関連HP丸亀市公式ホームページ
電車・バスでJR丸亀駅から徒歩15分
ドライブで瀬戸中央自動車道坂出北ICから約6.5km
駐車場丸亀城内資料館南側(50台/無料)・市民ひろば駐車場(22台/無料)
問い合わせ丸亀市文化財観光案内会事務局TEL:0877-22-6278/FAX:0877-24-8868
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

丸亀城

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丸亀城 山下御殿跡

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丸亀城・天守

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