六善光寺同時御開帳! 甲斐善光寺

「全国善光寺会」に所属する寺は全国に26ヶ寺もあります。
そのなかでも善光寺本尊とゆかりの深い寺が「六善光寺」と呼ばれています。
なかでも甲斐善光寺はその筆頭。なぜならその由来がユニークだからです。

信玄、善光寺本尊を甲斐に遷す!

時は、戦国時代のまっただ中、甲斐国府中(現在の山梨県甲府市)を本拠とする武田信玄(武田晴信)は、信濃を手中に収めて、上洛を考えます。
これに対峙したのが上杉謙信(長尾景虎)で、両雄が相まみえる有名な「川中島の合戦」は実に5回も繰り広げられています。
その主戦場となったのが、善光寺の建つ善光寺平なのです。

1555(弘治元)年、武田信玄は、善光寺のご本尊や宝物を疎開させることを思いつきます。
それまで川中島の戦いはすでに2回を数え、直前の第二次の合戦(犀川の戦い)では200日あまりという長期にわたり対陣しています。
信玄は「いよいよ決戦だな」との思いがあったのでしょう。
信玄は、善光寺本尊の善光寺如来像(秘仏)をはじめ諸仏寺宝類を、佐久郡禰津村(現・長野県東御市祢津)に3年ほど安置します(現在の祢津大日堂)。

ところが、善光寺が戦火で焼失するという予想通りの事態が起こったためここも危険と判断して、信玄は府中(甲府)に近い板垣の郷にもうひとつの善光寺を建立します。
これが甲斐善光寺です。

YN000502

現在の甲斐善光寺の本尊は、1195(建久6)年、尾張の僧・定尊が、秘伝である信濃善光寺の前立本尊として造立したものだとか。
金堂と山門も国の重要文化財。そして金堂中陣には日本一ともいわれる「鳴き龍の天井」があり、さらに裏堂には善光寺同様の「お戒壇巡り」も用意されています。

ちなみに、武田氏滅亡とともに、善光寺のご本尊も、甲斐善光寺から持ち出されます。誰が、どこへについては、岐阜善光寺のページをご参照ください。

甲斐善光寺の御開帳は、信濃の善光寺と同じで、平成27年4月5日(日)~5月31日(日)。
4月4日(土)10:00〜回向柱立柱式
4月5日(日)10:00〜開闢大法要
5月3日(日)10:00〜中日大法要
5月31日(日)10:00〜結願大法要

甲斐善光寺
〒400-0806山梨県甲府市善光寺3-36-1

六善光寺同時御開帳

 

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