浦賀渡船

浦賀渡船

神奈川県横須賀市浦賀にある浦賀港は、江戸時代には廻船問屋が軒を連ねた港町。その浦賀港の東西を結ぶ公営渡船が浦賀渡船(うらがとせん)。浦賀の渡しとも、浦賀海道とも呼ばれる渡し船は、明治11年8月に東西浦賀の17町内会の共同体が運航を始めた歴史ある公営渡船です。大正6年に浦賀町営に、現在は横須賀市営渡船です。

「愛宕丸」で3分の船旅を楽しむ

江戸時代初期には東浦賀には干鰯を扱う店(干鰯問屋・ほしかどいや)が軒を並べ、享保5年(1729年)には西浦賀に江戸湾に入る船を取り調べる浦和奉行所が開設されています。
その後、西浦賀は、廻船問屋が軒を並べ、各藩の穀宿も置かれて繁栄したので、東西の浦賀村の交流手段として渡船は必須のものでした。
浦賀の渡船も、奥行き1.5kmという浦賀港の東西交通の不便さを克服するため、江戸時代に始まったもの。

徳川幕府の浦賀造船所が設置され、国産初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造したのも浦賀港。
万延元年(1860年)、遣米使節団の乗った咸臨丸(かんりんまる)も、浦賀からサンフランシスコへと向かっています。

渡船が公営化された翌年、明治12年には東京都結ぶ蒸気船が就航、明治30年には造船所である浦賀船渠(うらがせんきょ/通称「浦賀ドック」)も設立され、多くの艦船などを造船しています(平成15年閉鎖)。
大正時代にピークを迎えた渡船による旅客輸送ですが、現在も年間3万人ほどが利用しています。

現在、浦賀渡船に就航しているのは平成10年の浦賀渡船120周年を機に就航した「愛宕丸」(4.8t)で、東叶神社(ひがしかのうじんじゃ)の祭礼の際に御輿を運んだ「御座船」(ござぶね)をモチーフにしています。
浦賀海道とも呼ばれるように、海上ながら横須賀市道2073号の扱いで、航路の長さは東西233m(所要3分)。
今も地元では「ポンポン船」と呼ばれています。

運航ダイヤはとくになく、渡船がいない場合は待合所の呼出し装置(ブザー)を押せば、対岸からやってくる仕組み。

12:00~13:00、年末年始、強風、悪天候時は運休となります。
他の乗客の迷惑にならなければペットの乗船も可能。

浦賀港の東西両岸に鎮座する叶神社の両方に参拝すると願いが叶うといわれている「両参り」にもぜひチャレンジを。

浦賀渡船
名称 浦賀渡船/うらがとせん
所在地 神奈川県横須賀市東浦賀2-19-10先(東渡船場)・西浦賀1-2-19先(西渡船場)
関連HP 横須賀市公式ホームページ
電車・バスで 東渡船場へは京急浦賀駅から京急バス観音崎方面行きで新町下車、徒歩3分。西渡船場へは京急浦賀駅から京急バス久里浜方面行きで紺屋町下車
ドライブで 横浜横須賀道路浦賀ICから約2km
駐車場 なし
問い合わせ 横須賀市土木部土木総務課 TEL:046-822-8346/ミウラ総建 TEL:046-841-1509
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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